センター試験の古文の問6は、「無理題」の典型であり、『「無理題」こそ「難題」』という私の書いた本の四ヵ所に関係すると思われるので、それを指摘して、終わりにします。


Ⅰ 「すがすがしき御心」を、岩波書店版『日本古典文學大系』の「『すがすがしき』は、夕霧の気質ではない」という指摘がありながら、「夕霧説」を採用したこと。


 古典の読解に異説があるのは当然であり、そこを出題すれば、「無理題」になるのは当然です。


 『「無理題」こそ「難題」』の第二章例二は、同じ性質の問題を取り上げています。防衛医科大学校の出題者は小学館版『新編日本文學全集』の説は認めないけれども、今後は注意すると答えています。


 岩波書店版『日本古典文學大系』は、ある意味で、最も重要な資料です。これを否定することは、学者としてあってもかまいませんが、心内記号などでそれを処理するのではなく、【注】で、明らかにするぐらい大切な点だと私は考えます。『「無理題」こそ「難題」』第四章第二節「注の活用」を参考にしてください。


Ⅱ Ⅰと関係しますが、心内記号の打ち方が粗雑です。例えば、「あやふし」をなぜ、心内文に含めなかったか。


 『「無理題」こそ「難題」』の第二章例三は、会話記号を打ち間違えていながら、「受験生は、与えられた原文の記号に従って答えればよろしい」という中央大学出題者の傲慢な発言を伝えています。誤った記号によって振り回される受験者が可哀相です。


Ⅲ 「あやふし」を「あやふく思ひ給ふ」と表記するならば、選択肢④を正解とすることに問題はなかったでしょう。


 『「無理題」こそ「難題」』第四章第一節「表記を正しく」は、江戸時代の例ですが、原文を変改しなければ、入試問題としては使えない代物でした。古文の場合、異本あるいは、原文の変改は必然です。受験生の誤解を生まない配慮が必要になると私は考えます。


Ⅳ 内容説明、趣旨合致の問題は、選択肢はどのようにも作れます。あるいは、どの部分を取り上げて説明するかはほとんど出題者の思うがまま、自由です。だからこそ、「出題しない勇気」が必要なのです。


 『「無理題」こそ「難題」』第四章第四節例一は、第二章第一節例二と同じ原文ですが、「情」の意味を、異説があるから設問するなと指摘しています。この場合も「あやふし」を出題しなければ、「無理題」とはならなかったと私は考えます。


 「無理題」こそ「難題」であり、易しい問題を作りたくない出題者の、もっとも魅かれるところです。だから、『源氏物語』の出題は多いのですが、「無理題」は絶対に避けなければなりません。


 以上、長々と、色々書きましたが、これで、終わりにします。来年度のセンター試験が受験生にとってより適切なものとなることを心から願っています。