今年のセンター試験の国語の平均点は、史上最低、そして、最高点は、200点ではなく195点、これは13年ぶりだそうです。
そして、その原因は、古文の『源氏物語』の出題にあったと『読売新聞』は書きました。
しかし、それは『源氏物語』の罪ではなく、出題者の、一言で言えば、「敬語に対する鈍感さ」が思わぬ効果を生んだものだと私はこれまで述べてきました。
ネットで、Z会の設問別の受験生のマークした割合を見つけました。
古文の問5(8点)で、正解の①をマークしたもの 17.8%
誤答の ⑤をマークしたもの 34,1%
①と⑤の違いを説明します。
【本文B】「何ごとも、『今は』と見飽き給ひにける身なれば、今、はた、直るべきにもあらぬを、『何かは』とて。あやしき人々は、思し捨てずは嬉しうこそはあらめ」
【現代語訳】 何もかも、あなたがもう飽き飽きしておしまいになったこの私ですから、いまさら直るはずもありませんし、無理に辛抱することもないと存じまして……。みっともない子供たちは、もしお見捨てにならないのでしたら、うれしゅうございましょう」(小学館版『新編日本古典文学全集』)
【選択肢①=正解】 「Bは三条殿の言葉で、大将殿のお心が離れた自分は変わりようもなく、何をしようと勝手だ、子どもたちのことは後はよろしくと言っている。」
【選択肢⑤=誤答】 「Bは三条殿の言葉で、私に飽きたあなたのお気持ちがもはやもとに戻るはずもなく、お好きになさればよいが、子どもたちへの責任は負っていただきたいと言っている。」
本文の太字部分には敬語がありません。だから、話し手(三条殿)が、自分のことを述べて、「変わりようもなく、何をしようと勝手だ」と言う方をせいかいとしているのです。
恐らく、受験生はその直前の「『今は』と見飽き給ひにける身なれば、」で、「給ひ」という尊敬語を使っているので、「私に飽きたあなたのお気持ちは」を選んだものと考えます。
実は、この、「『今は』と見飽き給ひにける身なれば」という、本文の「見飽き給ひにける」と「身」との関係は、よほど注意しなければならない繋がり方として、時枝誠記さんなどか指摘している特別な「連体修飾語の用法」なのです。普通だったら、「見飽き給ひにける貴方自身」と考えるからです。「何もかも、あなたがもう飽き飽きしておしまいになったこの私」という句を読み取れなかった受験生をとがめるような出題こそ行き過ぎだと指弾されるべきでしょう。
ただ、この問題は「無理題」とは考えません。「敬語」の有無を簡単に考えた出題者の思いもかけなかった難問と私は考えています。
「無理題」としての問6については、このブログで何度も書いているのでもう書きません。この出題者の「敬語に対する鈍感さ」は、心情表現についた尊敬語例として、問3で「『心苦し』と思す」主体と、内容を設問しながら、問6で「あやふし」を設問している粗雑さからもうかがわれそうです。
問6について、Z会の設問別の受験生のマークした割合だけを最後に書いておきます。
古文の問6(8点)で、正解の④をマークしたもの 20%
誤答の③をマークしたもの 27,4%
古文の問題そのものを提示しないまま、勝手なことを何日も書き、センター試験と関わらない皆さまには本当にご迷惑な話になってしまいました。今日で、「2014年度センター試験・国語・古文」についての話を終わりにします。申し訳けございませんでした。