2月6日にセンター試験の平均点がセンターから発表になりました。


 2月7日早朝、たまたま旅に出ていて、ホテルでその報告を新聞で見ることができたのは幸運でした。


 日頃、見ている「毎日新聞」はベタ記事。どこに載っているのかさえ探さないとわからないぐらいの小さな記事扱いでした。


 中で、日頃はめったに読まない「読売新聞」が四段にわたってくわしく、特に国語について報告していました。


 見出しは、大が、「国語平均5割切るーセンター試験過去最低」


 小見出しとして、「『源氏物語』想定外だった!?」


 その記事全体が「源氏物語」が出題されたことに対しての論評であり、私自身その文章を読むことができたこと喜びながら、なお識者の評に、ある違和感を覚えたというのが率直な感想であり、それを書き留めておきたいと思いました。


 特に次の言葉です。


 「宮川俊彦・国語作文教育研究所長は、『出題内容は一般教養レベルで、古典に対する素養があれば解ける。古典の理解力が落ちており、非常に深刻だ』と述べ、古典への興味・関心を引き出す対策を求めた。」


 私は、この宮川先生にすぐ手紙を書こうと思いましたが、まわりの者が「80歳にもなって、もう止めなさい」というものですから、止しにしましたが、これは私のブログだから勝手に書きます。


 ① 「一般教養レベル」とはいかなる「レベル」のことか。


 一昔前、大学は「一般教養」として、大学一・二年の講義内容を位置づけていました。もし、この仁の「一般教養レベル」がそれを意味するならば、これまでも、これからも、高校生・受験生にそのレベルを要求するのは無理でしょう。

 

 ② 「古典に対する素養があれば解ける」とは、本当にご自分で解いた上での言葉ですかと疑います。


 今度のセンターの古文(あるいは「漢文」もそうだと専門の連中が言っていますが)は悪問(「無理題」)だというのははっきりしています。「古典に対する素養があれば解ける」などという言葉は世迷い言です。(解答する時間を無視してもです。ましてをや……)


 「古典の理解力が落ちており、非常に深刻だ」は正しいでしょうが、その前に、大学入試センターに「こんな問題を出してはならないよ」と伝えるのがまず教師集団のなすべきことだと私は考えます。


 前にも書きましたが、大学入試センター 研究統括官 荒井克弘名の私宛返信文書には説得力はありませんでした。(勿論、これに対する反論は手紙で送りましたが、それに対する答えはありません)


 ③ 私自身、これ以上問題にするつもりもないし、「源氏物語」が読めるかどうか、『古典の理解力が落ちており、非常に深刻だ』」といわれるほど、危機感を持っているわけではありません。


 古文も高等学校の教育課程の一部分にすぎません。それ以上でも、それ以下でもない、ただ、そういった分野の学習達成度を適正に評価する問題を出題して欲しいと願っているだけです。