実兄の訃報を受け、大阪に出かけ、この数日、ブログを書くこともできませんでした。
また、細々とですが、「無理題に遊ぶ」と題して、書き続けますのでよろしくお願いいたします。
2月11日、「毎日新聞」朝刊、『季語刻々』坪内稔典さんの欄に、次の句が掲載されました。
窓開けて鶯(うぐいす)の声大きくす 高山睦子
老妻との会話です。
私、「窓を開けて、鶯の声を大きくし、それを聞こうとしたというのかなあ。」
老妻、「違うでしょう。窓を開けたところ、鶯の声が大きく聞こえたということではありませんか。」
坪内稔典さんの解説は次の通りです。
「冬の鶯はチャッチャッと鳴く。その声を季語では『地鳴き』『笹(ささ)鳴き』と言う。春が近づくとその声にホーホケキョが交じる。2月ごろの声は『初音』。鶯はしだいに鳴き方が上手になり、3月にもなると軽やかな『さえずり』にもなる。
今日の句。いかにも早春の朝という感じ。快い。『松の花季語別句集』(松の花俳句会)から引いた。」
この解説では答えはわかりません。作者や、解説者がどう捉えているかぜひ知りたく思いますが、ある意味で「無理題」なので、私が勝手に解説します。
日本語の文法に従った接続助詞「て」の用法では、「窓を開けて、鶯の声を大きくした」が第一感です。すなわち、「鶯の声」に「を」を補います。
これに対して、「鶯の声」に「が」を補うと、「窓を開けたところ、鶯の声が大きく聞こえた」となりますが、どうもこの場合、「て」の座り心地が悪く感じます。
しかし、接続助詞「て」をどう考えるか、俳句の世界ではいろいろあり、例えば、「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」(芭蕉)や「病む雁の夜さむに落ちて旅寝かな」(芭蕉)など、「て」を隔てての主語の移動はそう例外ではないようです。
老妻、「あなたの『窓を開けて、鶯の声を聞こうとした』という解釈は理に落ちて、俳句ではありませんよ」
私、「まったく、仰る通りです。ここの『て』はぼんやり切れる感じの『て』としておきましょう。」
ということで、二人の間ではやっと結論を得ましたが、果たして正しいかどうか、面白がっています。
俳句について、まったく素人の会話です。お粗末でした。