少し長いが原文を引用します。

 新しい本を追いかけて読むよりも、昔感銘を受けた本を

再読して、昔気づかなかった「小説」をそこに豊富に発見

することがある。ただ「小説」と抽象的に言うだけでは、い

つまてたっても曖昧であろうから、端的な実例をあげるこ

とにしよう。

 私は最近、そういう自分の楽しみのためだけの読書とし

て、柳田国男氏の名著「遠野物語」を再読した。これは明

治四十三年に初版の出た本で、陸中上閉伊郡の山中の

一集落遠野郷の民俗採訪の成果であるが、全文自由な

文語体で書かれ、わけても序文は名文中の名文である。

この序文についてはあとで触れるとして、私のあげたい

のは、第二十二節の次のような小話である。

 「佐々木氏の曾祖母年寄りて死去せし時、棺(ひつぎ)

に取り納め親族の者集まり来てその夜は一同座敷にて

寝たり。死者の娘にて乱心の為離縁せられたる婦人もま

たその中にありき。喪の間は火の気を絶やすことを忌む

が所のふうなれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲

炉裏(いろり)の両側に座り、母人は傍らに炭籠を置き、

折々炭を継ぎてありしに、ふと裏口の方より足音して来る

者あるを見れば、亡くなりし老女なり。平生腰かがみて着

物の裾の引きずるを、三角に取り上げて前に縫つけて

ありしが、まざまざとそのとりにて、しま目にも目覚えあ

り。あなやと思間もなく、二人の女の座れる炉の脇を通

り行くとて、裾にて炭取(すみとり)に触りしに、丸き炭取な

ればくるくると回りたり。母人は気丈の人なれば振り返り

後を見送りたれば、親縁の人々の打ち伏したる座敷のほ

うへ近寄り行くと思ほどに、かの婦人のけたたましき声

にて、おばあさんが来たと叫びたり。その余の人々はこの

声に眠りを覚ましただ打ち驚くばかりなりしと言り。」

 この中で私が、「あ、ここに小説があつた。」と三嘆これ久

しゅうしたのは、「裾にて炭取に触りしに、丸き炭取なれば

くるくると回りたり」というくだりである。

 ここがこの短い怪異譚(たん)の焦点であり、日常性と怪

異との疑いようのない接点である。この一行のおかげで、

僅か一ページの物語が、百枚二百枚のえせ小説よりも、

はるかにみごとな小説になっており、人の心に永久に忘れ

難い印象を残すのである。(以下略)


 来年度から使用される「現代文B」の教科書中、気に入っ

た話として、2社が採用している、三島由紀夫『小説とは何

か』の一部分を引用(ここに書いたのはそのうちのA社の文

章です)したのですが、内容そのものは、省略部分を含め

て、私自身非常に面白く読んだ(教材としてふさわしいと思

った)ということをまず書いておきます。そして、それでも気

になった点を二つ書いておきます。


 ① 筆者、三島由紀夫自身が「全文自由な文語体」と書

いている、この『遠野物語』の引用文が、A社では、このよ

うに「歴史的仮名遣い」で書かれているのに、B社では、

「現代仮名遣い」で書かれています。私が太字にした部分

です。

 これは明らかに間違いではないでしょうか。というのは、

「『である』ことと『する』こと」(丸山真男)をB社は同一本

に採用していますが、その文中、福沢諭吉の『日々のを

へ』は「文語体」であり、「歴史的仮名遣い」で引用して

ます。


 ② このA社の引用文中、太字下線の「婦人」は実は三

島由紀夫全集では「狂女」となっています。B社は原文通

り、「狂女」としています。

 「狂女」では教育上問題がある(差別語など)ための配

慮かと思うのですが、この部分「婦人」では、文意も明確

にならず、なによりも背景が弱くなり、筆者の主張の説得

力が失われるのではないかと思うわけです。B社の原文

では許されているということは検定に引っかかったわけで

はなく編集者が自主的に判断したものと考えられますが、

「文語体」は「歴史的仮名遣い」でという方針を通しながら、

肝心のところで誤っていることを残念に思います。


 それにしても、めったに見ない、「現代文」の教科書にひ

たったこの数ヶ月は楽しい時でした。