1993年7月、井伏鱒二が亡くなったときの、追悼文でもっとも印象に残っているのが、一人の評論家の経験でした。


 「井伏鱒二家で、みんなわいわいお酒を飲んで、トイレに行き、そこで聞こえてきたのは、翌日の次男の葬式の話でした。井伏本人はまったく普通の人同じく、みんなと楽しく談笑しておられました。」


 この追悼文が、誰によって書かれたか、何に掲載されたかを忘れてしまいました。


 今度、井伏鱒二というもの凄い作家と触れあって、いつも頭に残っていたエピソードでした。


 恐らく、奥野健男の「自然体で描いた怖ろしい真実ーサヨナラ 井伏鱒二大先輩(「産経新聞」夕刊 1993・7・12)ではないかと的を絞りましたが、福山中央図書館では産経新聞を保存していません。まわりの図書館すべて当たりましたが駄目でした。この上は、岡山県立図書館にと思っていました。


 『尊魚』にそれに触れる記事がありました。


 「井伏さんの風貌姿勢」 萩原得司×大河内昭爾×清水凡平


 荻原 僕は七、八年間聞き書きをさせていただいたその間、今日は萩原君が来る日だからと、一滴も酒を飲まないで待っていて、終わると、ウィスキーの水割を飲み始めるのですよ。それからいろんな面白いゴシップの話とか、釣りの話とか、骨董の話とかが出てくる。そういう気配りはありますね。さりげない形で。ですから次男さんが亡くなった日にそういうこと知らないから、編集者などがみんなわいわいやっていてもひと言もおっしゃらない。

 清水 今村昌平さんが『黒い雨』をやりましたね。ロケが全部終わって井伏邸へ僕が案内して行った時に、みんなで飲んでいたのですがしばらくたって、ぽつんと言われました。次男が亡くなった。みんなびっくりして、それはいつですかということになって、半月くらい前田と。大変ですねというと、うん、あの子はいい子だったのだなあと、目を瞑ってね。あの表情は忘れられない。

 大河内 お幾つで亡くなられたのですか。

 清水 五十何歳かですね。井伏さんはお葬式に行っていないのです。(以下略) 

 

 私は、井伏鱒二のことを調べている間、なかなか眠れませんでした。夢に現れたわけではありませんが、この怪人の魅力からしばらくでも自由になることはできませんでした。


 今でも、このわけのわからない作家のことを調べるとしたら、できるのではないかと思うことがあります。井伏鱒二の呪縛でしょうか。


 一言で言えば、私のような卑小な人間に処理できる人ではない、始末に負えない、「韜晦の人」としか言いようがありません。


 ただ、一言付け加えれば、「思想・主張をまったく持たない、意識しない中庸の人」であり、『黒い雨』によって過大評価しないことというのが率直な私の印象でしょうか。


 また新しい何かを見つけたら書くことがあるかもしれませんが、一応今日で「井伏鱒二」の幕を引きたいと思っています。