そろそろ、終わりに近づきました。

 井伏鱒二の中学生時代の文章、第一の阿部正弘毒殺の経緯を報告した、Aはどの程度鴎外が手を加えて報告したのだろうかという疑問に答えるため、井伏鱒二の書いているものを中心にまとめておきます。


○ 「筆蹟は老人なるが如く、文章に真率なる処がある。」(森鴎外 『伊澤蘭軒』三〇三回 1917)


○ 「『文章に真率なる所がある』なんていふ批評は、これは鴎外氏が仲間ぼめのつもりなのであったろうが、私の文章を文壇的にそんなにいつてくれたのは、森鴎外が最初の人であるといふわけになる。おそらく鴎外氏は採点のあまい批評の仕方をしてゐた人であろう。」(井伏鱒二 『森鴎外氏に詫びる件』 1931)


○ 「私の少年時代の筆跡が『老人なるが如く』といふのは解しかねる。また文章も、鴎外の添削したものであって、真率なるところがあるといふのは依怙贔屓のやうである。私はそれでも、毎日新聞に掲載されたその部分を読んだとき、恰も自分の文章を讃められたやうに興奮した。(井伏鱒二 『挿話』鴎外全集月報 1949)


○ 「『文章に真率なる所がある』なんていう批評は、これは鴎外が参考資料の思いをつけるためだろうが、私の文章を文壇的にそんなにいってくれたのは、森鴎外が最初の人であるというわけになる。しかし、考えなおすまでもなく、鴎外は全面的に自分で書き直した候文を、自分で真率なところがると批評しているわけで、私の候文を批評したことにはならないのである。」(井伏鱒二 『悪戯』 『井伏鱒二全集』 1964)


 最後に井伏鱒二の研究者はこれをどう見るかについて、一文を紹介します。


 「要するに、鴎外の手紙欲しさから思いついた井伏らの計略に鴎外がまんまと嵌ったわけである。綴方用の毛筆を使って楷書で書いたという一中学生の筆跡を、鴎外ほどの能書家が見破れないはずはないと思うが、それを大新聞の連載小説の中に引用されて『筆跡は老人なるが如く、文章に真率なる処がある』と持ち上げられれば、井伏ならずともやはり鴎外の好意的な作為と思わないわけにはいかないだろう。

 だから井伏の立場からは、「私の文章を文壇的にそんなにいつてくれたのは、森鴎外が最初の人であるといふわけになる。しかし、考へなほすまでもなく、鴎外は全面的に自分で書きなほした候文を自分で真率なところがあると批評していゐるわけで、私の候文を批評したことにはならないのである」と言わざるを得ないのである。これなども、井伏一流の韜晦と見るべきであろうか。(『井伏鱒二の軌跡』 相馬正一 1995)


 韜晦(とうかい)=自分の才能、地位、形跡などをごまかしてわからないようにすること。他人の目をくらまし、隠すこと。(『日本国語大辞典』)


 これで、『森鴎外氏に詫びる件』はすべてです。いや、疲れました。「すり替えの名手、韜晦の人」との付き合いほど疲れることはないというのが今の率直な気持ちです。