正解の公表を求めています。昨日は、「マーク試験」の場合のことを書きました。


 「受験生は与えられた選択肢の中で、もっとも相応しいものを選びさえすればいい」というのがマーク試験の出題者の正直な言葉だったことを紹介しました。(私はそういう手紙をもらいました)


 記述試験は、選択肢に○×をするのではなく、受験生に書かせる問題形式です。そして、国公立の二次試験や有名私大の入学試験では一般的な形式です。


 もう一度、『蜻蛉日記』の例を取り上げます。


 出題文が、「心もとなき身だに、かく思ひ知りたる人は、袖を濡らさぬといふたぐひなし。」とあって、それに傍線を引き、その口語訳を書きなさいとあった場合の解答の仕方です。


 前に書いたように、この出題文の句読点の打ちようでは、正しい口語訳は望めません。そこで、


 ① 「解答不能」


と答えたらどうでしょうか。おそらく×、0点でしょう。


 ② 高明一家をよく存じあげていないわたくしのごときものでさえ、こうして心ある者は皆涙を流した。

 

 自分のことを「心ある者」と言うことに抵抗はあるが、この読点の位置からはこうした答えしか出て来ないと考える受験生の答えです。『新全集』・『新大系』など、一般書の口語訳です。


 ③ 私のような実情にうとい者でさえもこんなにせつなくなって同情されるのだから、実際事情をわきまえている人は、だれ一人として袖を濡らさぬ人はなかった。


 文脈上はこうでなければならないと考えた受験生の答えです。講談社『学術文庫』は、この本文で、こう口語訳しています。


 正解が公表されない限り、この②と③、どちらを正解にしているかは分かりません。ただ、どちらも正解にするはずはありません。出題した意味がないからです。


 正解を公表する、例えば、「②を正解とする」と公表すれば、③を答えた受験生から抗議が出ます。当然です。逆もあるでしょう。その抗議に出題者を含む大学側が答えることが出来るかどうか、そこに、実力を判断するための的確性、あるいは公平性がかかっているのです。しかし、大学側は、「正解を公表していません」という言葉でいつも逃げています。


 この例で言えば、抗議を受ければ、①と②と③すべてを正解にすると認め、そして、こんな問題を二度と出題してはならないということに出題者が気づかなければならないのです。これが、正解の公表の意義です。


 誰にでもはっきり分かる形での「無理題」は、抗議を受けて、両方認めるという措置をとった例が毎年あります。


 しかし、上にあげたような例で、そういった措置をとった例はこれまではありませんでした。正解を公表する必要はないという条件に守られた密室の中で、適当に処理されてきたからです。本当に情けないことです。


 昨年2月、小西甚一『古文の読解』が「ちくま学芸文庫」から復刊されました。その462頁に密室の様子が描かれています。


 P教授 ところで、(三)はどうかね。僕なら2点しかやれないと思うんだが……。あ、ちょうど出題した本人が来たから、R君の意見を聞かせてもらおうか。おいR君、こんどの試験の満点答案は、どうだっけな。


 出題委員R教授 困るね、君。採点の前に模範答案を配っておいたはずだぜ。


 P教授 採点が終わったとたん、焼いてしまったよ。


 R教授 用心がよいね。うっかり残しておくと、X大学のような事件も起こりかねないからな。じゃ、いま模範答案を書いてみようか。えーと。


 以下、それぞれが勝手なことを言う採点状況が活写されます。


 正解(模範解答)の公表がいかにむずかしいか、それだけに是非やって欲しいと願っています。