『文藝春秋』6月号に「定年後の勉強に必要ない記憶力」という、外山滋比古さんと和田秀樹さんの対談が載っています。その中で、和田さんがこんなことを述べておられます。


 「たしかに多くの人がブログを書いていますが、有名人でもない限り、反応なんてありません。そうなると誰も読まない日記みたいなもので、だんだんと書くのが義務感のようになって、つらくなってしまいがちです。

 反応がないまま書きっぱなしでいると、どんどん自分の思考が凝り固まっていきますし。なによりも楽しいという「快体験」こそが前頭葉の刺激になるんですからね。脳のトレーニング、いわゆる「脳とれ」で一躍有名になった東北大学の川島隆太教授も唱えていますが、「つまらない」と思っていては、いくら勉強しても前頭葉は活性化しません。」


 このブログも今日で382回を数えます。その間、何度ももう止めようと思いました。今年の2月26日にはマッカーサーの「老兵は死なず、消え去るのみ」という言葉を取り上げたこともあります。ところが、それからわずか半月ほどしての東日本大震災です。福島市に住む娘一家のこと、特に高校2年以下の3人の孫のことが気にかかって仕方ありません。じいじとばあばの気持ちを出来るだけ発信しようということで、ブログも現在まで続きました。私以上に老妻は心配しています。二人で本気で話し合って、このブログも書いています。


 だから、今のところ「つまらない」と思ったことはありません。「脳トレ」に少しでも役立てばとも思っています。


 たとえば、先週末、こんな文章をワープロで打ちました。


              菅総理よ、よく頑張った

 菅総理の、浜岡原発の停止要請と、原発再開に向けてのストレステストの実施主張によって、今度の原発事故後の日本の進む道を、次の世代のことも含めてどうするか、現時点での日本国の指導者の示す方向は明らかになった。国の方向がわからないからという各県知事などの逃げ口上はもう通用しない。脱原発か、経済安定か、戦後これほど明確なテーマを争点にしたことはない。安保も、郵政改革も矮小な問題であった。沖縄の問題だってこの問題には及ばない。(これは言い過ぎかもしれないが)今、国会議員は踏み絵を踏まされているのだ。この場を作るために、菅総理は必死でその席にしがみついている。もういい、争点は明らかになった。潔く解散に踏切り、日本国民のすべての人々の考えを聞くべきだ。菅総理よ、君はよく耐えた。


 その後、土曜日の朝日新聞に作家池沢夏樹さんが「ぎりぎりまで居座ればいい」という文章を寄稿されていました。その結びは次の通りです。


 「今、菅首相には罵詈雑言に耐えて電力政策の転換の基礎を作ってほしい。策謀が必要ならそれも使い、とんでもない人事も実行し、ぎりぎりまで居座り、改革を一歩進めてほしい。

 なぜならば、福島の惨状を見れば明らかなとおり、原発に未来はないからだ。ドイツとスイスとイタリアに次いで、原子力からの撤退を選ぼう。」


 こんな文章を読むとうれしくなります。今のところ、ブログを書くことを「つまらない」と思わずにすんでいます。もう少し書き続けようかなと老妻と話しています。