昨年、2月17日のこのブログで、「ジョージマロリーの言葉ー心楽しきこと」という文章を書きました。あの有名な「山がそこにあるからだ」という言葉を得意になって話していて、生徒から「英語で何て言ったの」と聞かれてわからず、大恥をかいた話です。
最近、「八十歳でチョモランマ」 三浦雄一郎 『文藝春秋』2011年4月号を読みました。面白かったので、紹介します。
「何故山を登るの?」という女性記者の質問に、「山がそこにあるから(Because it's there)」と答えたのはイギリスの登山家、ジョージ・マロリー。
その「山」とは、エベレストのこと。チベット側の八千六百メートルあたりを登り続けていたのは目撃されていたが、彼の遺体は七十五年たって八千メートルのイエローバンドで発見された。
ヒラリーとテンジンの一九五三年初登頂以来、多くの世界中の登山家たちに登られており、初のアメリカのエベレスト探検隊はこの山を登る理由を考えるのに困ってしまった。
しかし、とうとう立派な理由を見つけた。
「山がまだそこにあるからだ(Because it's still there)」
それからというものは、あまりめんどうな理屈をこねなくても、僕も私もと高いところを登るのが好きな山屋にとって、この世界最高峰に登るのがはやりだした。
いま、再来年の五月に八十歳でチョモランマ(エベレストの中国名)を目指す計画を進めている。でも、どうして八十歳を越えてチョモランマに登るの? と聞かれると困ってしまう。
(中略)
何故、人は山を登るのだろう?
マロリーから百年近く経った。
その答えは登ってみなければ分からない。
ね、面白い文章でしょう。
前に書いた問題は某大学の入試問題でした。
「なぜ山に登るのかと聞かれて、そこに山があるからだと答えた話は有名だが、それは答えになっていないと同時に答えになっている。
上の文章について、なぜ『答えになっていないと同時に答えになっている』のかを説明せよ。(二〇〇字以内)
私は、こうあらためて質問したくなりました。
この文章を読んで、「そこに山があるからだ」と「そこに、まだ山があるからだ」とはどう違いますか。説明してください。
追記
この三浦さんは「山を登る」と書き、「山に登る」と書いていません(一箇所を除いてかな)。これも面白いことと思いました。