昨日の続きです。「寮歌は生きている」から、「なむ」の用法を探しました。


 明治38年「第一高等学校記念祭寄贈歌・比叡の山の石だたみ」の中に、

 「遠き友垣忍びなば   われ万歳を唱へなん

という詩句を見つけましたが、当然、これは完了の「ぬ」+意志の「ん」で、問題にならないとお怒りを受けそうですが、果たしてそうでしょうか。


 明治41年「第一高等学校第18回記念祭東大寄贈歌・としはや已に十八と」の五番はこうなっています。

   むかし偲ぶのよすがとて   われ等がのぞみ一筋に

   ここにぞかかる九戦士    行けや行け行けわが友よ

   三度われらは叫ばなん    揚げて帰れやかちどきを


 これが、おそらく誤用?「なむ」の、もっとも早い例だと思われます。


 他の例は数限りなくあります。

 「宴の宵を祝はなん」、「いざ進まなむ諸共に」、「美酒をあけて歌はなむ」など。


 以上で、この「なむ」の話は終わりです。学者がどう答えるかわかりません。誤用かどうか、私は微妙だと思っています。いいじゃあないですか、「祝おう」というのを強めて「祝はなん」といったのは。『日本語文法大辞典』はもう一度、このことを考慮に入れて説明を考えるべきでしょうね。


 ここからは後日談です。

 先の「としはや已に十八と」の最後の二句を読んで、母校の遠征歌を思い出したのです。その遠征歌は、

 「三度われらは叫ばなん   あげて帰れよ勝どきを」

というのです。昭和二年に作詞されていました。歌詞はその部分が一致するだけで、その前半は、母校の京都へ遠征しての戦勝を祝う内容でした。作詞は高橋喜好教諭でした。


 原曲が発見されたのです。早速、その曲譜を音楽室に持参して、音楽の先生にピアノで弾いてもらったら、まったく我が母校の遠征歌と同じということがわかりました。


 かくして、それまで、わからなかった『遠征歌・春行楽の』の作曲者が判明いたしました。うれしかったですね。