来年度大学入試古文の出題者は、問題を考える前に、ぜひ、『「無理題」こそ「難題」』という本を読んでください。


 早稲田大学国際教養学部の『増鏡』について、いろいろの方面と話し合っているうちに、これは『「無理題」こそ「難題」』の「はじめに」の例とそっくりだと思い始めました。O社の解答者は、早稲田の出題者に当たりますが、「はじめに」の出題者であり、解答者になります。そして、その上の校閲者はあの時の問題協力者です。

そして、論点が「敬語と主語」。


 あの時の生徒の感想はこうでした。

○ 「先生、古文ってむずかしいね、どんな勉強をすればよいか、わからなくなったよ」

 「あなた達の勉強と齟齬する結果になり、申し訳ないと思いますが」というのがあの時の解答者の言葉でした。

 今、やはり、「この文章では、敬語の用法が主体を読み取る決め手にはならない」と解答者は述べます。


 生徒は、古文についてどんな勉強をすればいいのですかと出題者に尋ねたい気持ちで一杯のようです。勿論高校の教師も。


○「これが模擬試験だから笑ってすみましたが、入学試験でこんな採点をされたらと思うと心配になります」


 現実にこんな採点がなされています。私は、今日、O社の担当を通して、「元高校の先生であるという方の「ウ」の解答も誤りとは言えません。敬語の用法と、高貴な方が侍女を介して対話するという古文常識とから「ウ」を選ぶことも一つの立派な解釈です」という言葉を引き、是非、この校閲者に、早稲田大学国際教養学部の『増鏡』の採点で「ア」と「ウ」両方を正解としてくださいという提起に賛同して欲しいと申し入れました。


 このO社の校閲者は、何よりも、この問題が二つの正解が予想される「無理題」だということをいちはやく認められているのですから。


 あの「はじめに」に書いたことが、こうして現実の問題になりました。それを危惧してあの原稿を書いたつもりです。

 

 今年も、来年度入試の問題作成の時期です。出題された後では、何を言っても通用しない世界です。ぜひ、出題前に、「無理題」を出さないようにと言い続けたいと思っています。


 かなり、この問題で疲れています。あすからは、近代の文語体の話に返るつもりでいます。この方が楽です。