07年度東京女子大の古文問題は『庚子道の記』から出題されました。その最後の問題は文学史の問題でした。
[問題]「庚子道の記」は、享保五年(一七二〇)の成立である。これ以後に成立した 作品を次の中から一つ選べ。
ア 好色一代男 イ 雨月物語 ウ 奥の細道 エ 心中天の網島
オ 日本永代蔵
この正解は、一つは「イ」ですが、大学側から、次のような説明がなされたようです。
「エの成立は享保五年(一七二〇)で、同年でした。『以後』が同年をも含むとすれば、エも許容される解答です。以上の事情によりこの設問に関しては、イとエの両方を正解とした」
この説明が、どういう事情で、いかなるところで公表されたのか詳らかにすることができません。だが、疑問に思うことが二つあります。
一つは、この説明文の内容です。
『庚子道の記』は享保五(一七二〇)年二月二十七日から三月五日までの名古屋から江戸までの日記です。そして、『心中天の網島』の初演は、享保五(一七二〇)年十二月五日と『日本古典文学大事典』などには書かれています。すなわち、「『以後』が同年をも含むとすれば、」というような曖昧な書き方をせず、この日付を明らかにすれば、その前後関係ははっきりし、エも正解であることは間違いないのに、と疑問に思うわけです。
もう一点、「この作品より後の作品を次の選択肢より一つ選べ」という文学史の設問形式はよく出題されますが、これは正解を必ずしも一つとは限らなくていい形式です。採点の際に二つあれば両方正解とすればすむことで、「正解が二つあって間違えていました。両方正解にします」とわざわざことわる必要はないと思うのですが、この場合どんな事情があったのでしょうか。
この問題が無理題ではないと私が考えるのもこの点です。「無理題」は二つの正解が予想される問題ですが、その二つの正解の関係は「その両方を正解とすることはできない」というのが原則です。一方を正解とすれば、一方は正解でないという二つの正解が予想される問題が「無理題」の基本です。
こう考えると、この問題は無理題ではありません。正解が二つあれば、どちらも正解とすればすむことです。いくら一つ選べと指示していても。
おそらく、出題者は、『心中天の網島』は元禄三文人の一人近松門左衛門の作品だから、『庚子道の記』より早いと考え、その誤りを指摘されてあわてて採点方法を公表したのではないでしょうか。何とかの勘ぐりですが。
いずれにしても、『「無理題」こそ「難題」』では取り上げませんでしたのでここで補っておきます。私にとって面白い問題でした。