百目鬼恭三郎氏は、田辺聖子氏の『文車の日記』を例にとって、次のように書いています。

 「この本をまずパラパラくってみていたら、菅茶山をカン・サザンとよませているのが目にとまったのであります。むろん、サザンとよませること自体はまちがいではない。平凡社『大人名事典』でも、執筆者の森銑三氏はサザンとよませているし、『広辞苑』もサザン、日本古典文学大系の『五山文学江戸漢詩集』でも、校注者の山岸徳平氏はサザンとよませているのですね。

 しかし、茶山の名を森鴎外の『伊沢蘭軒』で知った私などは、早くからチャザンという鴎外のよませかたに親しんでいるために、サザンというよみには違和感をおぼえずにはいられない。たんによみのちがいにとどまらず、茶山への接しかたが、サザン派とチャザン派ではちがう、という気がするのであります。(以下略)」(『続風の書評』9頁)


 以下続く、田辺氏に対する厳しい批判はそれとして、「菅茶山」を「カン・サザン」と読むか、「カン・チャザン」と読むかは、無理題の問題としても、また、同じ備後の人間としても看過しがたいと思い、取り上げました。


 およそ、人名の読みは本人がこう読むと何かに書いておく以外、なかなか難しい問題です。場合によっては無理題になります。例えば、こういうことに特別うるさいかの高島俊男氏は、後醍醐天皇の皇子「護良親王」の読みについて、次のように書いています。

 「数年前ある読者が憤慨してお手紙をくださった。後醍醐天皇の皇子護良親王のことをNHKのテレビで「モリヨシ親王」と言っていた。無知もはなはだしい、とある。昔の教科書には「護良(もりなが)親王」とあったから、年配のかたの多くは「モリナガ親王」だと信じていらっしゃる。今の辞典はたいていモリヨシだからNHKはそれにしたがったのだろう。

 広辞苑で戦後の趨勢がわかる。

 昭和三十年の第一版は「もりながしんのう」である。同四十四年の第二版も同じ。

同五十八年の第三版から「もりながしんのう(モリヨシともよむ)と括弧注が加わった。一九九一年(平成三)の第四版も同じ。そして一九九八年(平成十)の第五版では「もりよししんのう(モリナガともよむ)とモリヨシが主になっている。

 思うに、「どうせわからぬのなら読みは符牒にすぎない。符牒なら一番ありふれたよみでよかろう」とモリヨシとする人が多くなり、辞典類もおいおい大勢にしたがったのではあるまいか。(『お言葉ですが…』第7巻236頁)


 広辞苑で「菅茶山」を探すと次のようになります。前文に便乗して書きます。

 第一版は「さざん」のみ。第二版も「さざん」のみ。第三版も「さざん」のみ。第四版で「かん・さざん」をひくと「→かんちゃざん」となり、以後、第五版も、二〇〇八年(平成二十)の第六版も「→かんちゃざん」で同じです。すなわち、当初サザン派が優勢でしたが、第四版以後チャザン派が優勢になったということでしょう。では根拠は何かということになりますが、長くなりましたので今日はここまでにします。