5月21日のこのブログで、「『風の書評』が推す『例解古語辞典』」という拙文を書きました。その後、『風の書評』のことが気になり、「日本の古本屋」というサイトを使って、古本で、「正・続」を購入いたしました。


 一読、「これはすごいや」というのが感想でした。何しろ著者百目鬼恭三郎は、朝日新聞の記者でありながら朝日新聞の「天声人語」などの記事、また朝日新聞の出版物を片っ端からこきおろすのですから。


 それはともかく、私の気になったのは、井上ひさし氏の批判(くわしくは「無理題に遊ぶ」というブログの5月21日分をもう一度お読みください)に『風の書評』著者がどう答えたかでした。

 坪内祐三「人声天語」にはこうありました。

 「井上さんは昭和二十四年の『科学朝日』にアメリカの水爆実験に関する記事が載っていたことを突き止め、川崎長太郎は愛用する小田原市立図書館でその記事を目にしたに違いないと書いた。」


 この論争は「無理題」の論争ではありません。百目鬼恭三郎氏が井上ひさし氏の指摘にどう答えるかだけです。あの毒舌家がどんな論法を使うのかが私の興味でした。しかし、結論はあっけないものでした。


 「ともあれ、そういう次第で、世間が水爆を知るようになったのは、昭和二十七年より古く、昭和二十五年であったということは、遅まきながら謹んで訂正したい。もっとも、昭和二十二年説のほうが正しくて、あの箇所を全面的に訂正したところで、私の『淡雪』に対する考えかたは変わりようがないのである。従って、思えば、これはおそろしく不毛の論争であり、私としてはイヤイヤ答えているということを、読者はご承知願いたい。」(『続風の書評』176頁)


 これは、井上ひさし氏の指摘が正しく、百目鬼恭三郎氏の負けでしょう。

 ただ、この後の文には参りました。

 

 「だいたい、なぜ井上がこの書評に対して横から口を出して来て、いきりたっているのかがはじめはさっぱりわからなくて、川崎長太郎は井上ひさしの叔父さんなのかとさえ思ったほどだ。(中略)

 が、一言忠告しておく。相手をやっつけるのに、「もう一度小学校へ再入学なさった方がよろしい」などと毒づかないほうがよろしい。(以下略)」


 いやはやすさまじいですね。売り言葉に買い言葉だったのでしょうが、坪内祐三氏の言う「感情論のぶつけ合いでなく、文学的見解の違いをお互い率直に語り合うことはとても気持ち良い。」状況ではなかったようです。