一番末の孫は小学一年生、「春風」という名前です。みんな「はるかぜ」とそのままを呼びません。愛称は「かぜ」です。しかし、じーじやばーばは出来る限り「はるかぜ」と呼んでいます。


 先日、小学校に入って初めての参観授業がありました。「国語」だというので、私が参観しようかと言うと、いとも簡単に「いいよ」でした。

 期待をもって、保護者の中で一番先に教室の後に陣取りました。授業は「あいうえお」の表をもとにした五十音図の勉強でした。その内容については書きません。ただ、彼、春風は一度も手を挙げませんでした。その上、まったく答えませんでした。担任の先生が何度も声をかけてくださったのですが、まったく答えませんでした。授業が終わった後、担任は私に、申し訳ございませんと謝られました。私は「まったく気にしていません」と答えておきました。

 春風は、恥ずかしさで一杯なのです。答えるはずがありません。私はこれをまたよしと思っています。同じ教師をしている一人として担任には申し訳ないけれども。


 ここまでは前置きです。俳書を見ても「春風や」とか「春の風」などの季語が気にかかります。そう思っていたところに、稔典さんの次の句を発見いたしました。


 春の風ルンルンけんけんあんぽんたん   坪内稔典


 小学館版『日本国語大辞典』の「あんぽんたん」の項は、

 ① おろか者をいう。  ② 魚「かさご」(笠子)の異名。  ③ らくがんの一種

と説明しています。


 私は、この句の解釈として、「あんぽんたん」をおろか者とする解釈にあえて、反対します。稔典さんは、語呂遊びとして出したわけで、あるいは、子どもの蔑称ではなく愛称として表現したものでしょう。

 いいじゃないですか、「あんぽんたん」とあだ名される子どもは。


 私は、孫、春風が「あんぽんたん」であるとはまったく思っていません。あだ名として「あんぽんたん」と呼ばれれば、いいな、すばらしいなと今思っています。これは子どもたちにとって愛称ですよ。蔑称ではありません。