あれほど評判の悪かった共通一次試験が、今日まで、30年以上もなぜ続いたか、教育制度の専門家は今後それぞれくわしく分析されるでしょう。私は専門家でもなく、分析を得意とするものでもありませんが、ただ、昨日書いた、二つの全国試験の反省に立って共通一次試験が企画されたことがよかったのではないかと考えます。


 一 適性検査(知能検査に近い)ではなく、学力検査として、全員に五教科八科目すべてを受験することを義務づけたこと(社会・理科では選択)。

 ① これによって、共通一次試験の準備と二次試験の準備とが二重負担になることがなくなりました。

 ② いわゆる学力検査になることによって、予備校その他の共通一次試験対策が功を奏さなくなりました。

 ③ この全員全教科受験という義務づけにより、総合点(1000点)がすべての生徒において共通の評価点となり、一次試験として、生徒の側も、大学側もきわめてわかりやすく、使いやすくなりました。


 二 一九八〇年代以降の受験者数の増加、そしてそれに伴う受験戦争の激化が十分予想されるなかで、これ以上待っておれないという社会全体の入試制度改革の意志が文部省の強権として発揮され、全国公立大学の参加、また、学力検査に反対してきた日教組その他の反対を押し切ったこと

 ① 国公立大学の受験生は全員これを受験していなければ、二次試験を受験できないため、学校全体で進路指導として取り組まざるを得なくなりました。

 ② システム自体が巧妙にできていたため、学校間格差の問題、あるいは個人情報の漏れの問題など、反対する余地が少なくなっていました。

 そのシステムの特徴は ア 全教科受験  イ 全教科マーク問題  ウ 正解の発表  エ 自己採点  オ 入試センターは平均点のみ発表 カ 各大学には求めに応じてその大学の受験生の点のみを報告する キ この成績をどう使うかは各大学にまかせる などでした。


 こうして、共通一次試験は始まるわけですが、残る問題として、このシステムの正否はかかって、五教科の出題の妥当性にあったと思われます。二次試験もあることだから、難問奇問の必要性はありません。ひたすら、受験生の実力を公平に判断できる問題を出題さえすればということですが、これは言うは易く、行うには相当大変だっただろうと思います。

 しかし、この問題作成の大変な努力がここまでこの試験が続いたもっとも大きな要因ではないかと私は思っています。「良問」がこの制度維持のもっとも大きな力ではなかったかと現場の一教師は考えます。