ブログに名を借りて、あちらに行ったりこちらに行ったり、実はこれまで、『「無理題」こそ「難題」』の出来上がるきっかけを3回書いてきました。

 1 昭和40年以後の古文問題のデータベース化

 2 平成10(1998)年頃、「解釈」に投稿

 3 平成16(2004)年、「源氏物語」の通読

 4 平成17(2005)年、S模擬試験とのやりとり


 この4から実質『「無理題」こそ「難題」』は形を取り始めます。このことについては、同書「はじめに」にくわしく書いているので、ぜひお読みください。


 その過程での印象に残ったいくつかのことをここで書きます。

 最初、私は岩波版「旧大系」に則って出題されたのだろうが、小学館版「新全集」で異なる見解が表明されているので、その両方を正解とするようにと事務局に申し出ました。

 しかし、出題者はそれを受け入れず、「旧大系」に基づく正解を公表し、その通り採点して返しました。そして、私の申し入れに対して、丁寧な反論(A411頁)を送ってきました。

 その後、数回のやりとりを行いましたが、争点は敬語の有無になりました。そして、監修者から二度にわたって丁寧な手紙を頂きました。その最後に、

 「いずれにしても平成のこの時代、旧大系(私注岩波版日本古典文学大系のこと)に拠っての出題は、その点だけでも、考えものでした。」


 私はびっくりしました。それまで、岩波の旧大系を批判した論にあったことがありませんでした。しかも、先に「解釈」の項で書いたように、「この人に楯突くと今後発表できませんよ」というような、わけのわからない圧力などいくつか経験していました。


 その私にとって、これは本当に誠実な言葉でした。感激して、よし、思った通りを書いていこうと決心いたしました。これが、『「無理題」こそ「難題」』のもっとも大きなきっかけでした。


 「旧大系」が間違っているのではないかを何回も手紙で岩波書店に送りました。しかし、返事はとうとうありませんでした。もっとも、その校注者が亡くなっておられたことも多かったのですが。