昨日の続きです。

 Tさんはガンに冒されていました。その後手術して教職に復帰、しかし、完治はしなかったようです。


 平成15(2003)年1月、彼は憔悴していました。授業も大変だったようです。

 そんなある日、机を並べていた私に、「Mさん(彼は私に必ず姓で呼びかけます)クールという言葉の意味を知っていますか」と訊きました。私は、「テレビでいうワンクールというやつだろう、13時間1クールって」と答えたところ、彼は、「それはフランス語のCOURです。医者が抗ガン剤をもうワンクール打つというのです。そのクールはフランス語ではありません。私は辞書をひきました。ドイツ語なんですね。KURという綴りです。……その辞書は重かったな。」


 私は答えようがありませんでした。彼がドイツ語の辞書で「クール」を探していること。そしてその辞書が憔悴した彼にとてつもなく重かったこと。(私が持っている『日本国語大辞典』の「クール」を引こうとすると、その一巻は測ったところ2、8kgありました)

 彼が重いといったのは、その辞書の重み、そして、抗ガン剤の1クールの彼に与える重み、そして、彼の人生をかけた重みでした。


 彼は数日して亡くなりました。私や同僚はお見舞いさえ出来ない当然の死でした。


 実は、彼の長男が、今年、高校3年生にいました。私は最終授業まで、その生徒には何も言いませんでした。何かを意識して授業したら、シャイなTさんに笑われる、そんなことばかり思っていました。

 最後の授業で、それでも、「本物は重いよ!」と寄せ書きに書いた意味は伝えたいと思ってクラスの生徒全体に話をしました。

 

 年とると涙もろいというか、不覚を取り、涙が出て、クラスのみんなに十分その内容を伝えることが出来ませんでした。今、このブログで、君たちと同級のT君のお父さんの最後の言葉をちゃんと伝えたいと思います。


 こんな解説を加えることはもっともTさんの嫌うところですが、教室で時につまらないことを言う私の口癖であえて言うと、「電子辞書ではなく、本物の重い辞書を引いてくれ」というところでしょうか。ここは一度頭に入れてすぐ忘れてください。


 「本物は重いよ!」


 「夭折には資格がいる」三島由紀夫の言葉です。「夭折」とは若くして死ぬこと。


 彼、Tさんはまさしく、資格の保有者でした。