「小説」、川端康成『雪国』の冒頭、「国境」の読み、「短歌」、若山牧水「幾山河」の読みと「読み」の「無理題」を探ってきました。残るところは「俳句」、高浜虚子の「春風や」の読みです。


   春風や闘志いだきて丘に立つ                    高浜 虚子

 ネットで、この句を引いたところびっくりしました。中学校高等学校の校長さんがこの句を、或いは年度初めの訓辞で、また各学期の訓辞で実に多く話されている事実を知りました。恐らく、校長訓話の材料として最も使われているのではないかと思います。私は去りゆく校長の挨拶で二度この句を聞きました。


 ところで、この校長の訓辞・挨拶でこの句を取り上げるとき、初句の「春風や」はどう読んでおられるのでしょうか。私の聞いた挨拶では、どちらも「はるかぜや」でした。


 『名句鑑賞辞典』(小田切輝雄)は、「季語」=「春風」として、「『春風(はるかぜ)』を『シュンプウ』と音読みしたら『闘志』の強さと呼応するのだが、虚子はどうだったか。」

と書いています。


 ネットで、「教科書に載ったこの句の「春風」をどう読むかを議論し、結局「シュンプウ」と読むことに決した。こんなことに1時間費やした俳人の教師に感謝する」などという報告も見ることが出来ます。


 私の孫の名前は「春風」です。「はるかぜ」と言います。通称は「カゼ」です。季語としては「はるかぜ」が普通でしょう。しかし、この句の場合、「シュンプウ」と読みたい気がしています。


 「コッキョウ(コッキョー)」「イクサンガ」「シュンプウ」と音読みの強さに惹かれる私の個人的嗜好があるのかもしれません。


 ただ、これを、これしかないとしているわけではありません。「出題者がこれしかないとしたら、「無理題」であって、「難題」になってしまい、受験生を悩ませる」ということを心配しているのです。


 「春風」を「ハルカゼ」と読むのは、CC=60ぐらいでしょうか。レッドゾーンです。