高校3年の現役生として、某国立大学を受験しました。そこで、国語の古文の問題で完敗を意識しました。まったくわからないのです。こんな経験はそれまで皆無でした。多少自信のあった国語です。しかも、古文において。勿論零点ではなかったでしょう。また、古文だけのために不合格になったわけではないでしょう。ただ、こんな問題があるのだなという気持ちはそれ以後、その問題の答えがわかるまで、消えませんでした。ずっと、見たくない問題でした。そして、ある日、それを見て、なんだこんなことかって。


 今日は金曜日だし、その原文を書いておきます。二日間、もし興味のある方は、どこにそんな問題があるか、考えてみてください。つまらなくて驚くでしょうね。


 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり。ある人のもとにて、いみじき鯉を出だしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかがとためらひけるを、別当入道さる人にて、「この程百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべきにあらず。まげて申し請けん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、ある人、北山太政入道殿に語り申されたりければ、「かやうの事、おのれはよにうるさく覚ゆるなり。切りぬべき人なくは給へ、切らんと言ひたらんは、なほよかりなん。何条、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。(以下略)


 たった一つのフレーズがわからないために、まったくわからなくなりました。残念。