高校以上の年齢のほとんどの人が『土佐日記』冒頭、「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」という文を習ったと思いますが、その中の「日記」を先生はどう読まれましたか。「にき」か「にっき」かですが。
ほとんどの人が「にき」と聞いたのではないでしょうか。現行の教科書もほとんど「にき」と仮名を振っていますから。「声に出して読みたい日本語」CDも明らかに「にき」と読んでいます。
ところが、これに対して強烈に反論したのが、『古典再入門』小松英雄先生で、その論拠は次のごとくでしょう。、
1 『土佐日記』の貫之自筆祖本と思われるものには「日記」と漢字で書かれている。
2 平安時代の信頼できる仮名文テクストに「にき」と仮名で書いた事例はない。
3 十六世紀末ごろまでの語形は仮名表記になじまないnittki(このtは、息が外に出ない音)だったので、仮名
文でも漢字で書いていた。
平安時代の作者の自筆祖本として、「土佐日記」が唯一のものなどと言われているそうですから、1はいいとして、問題は2です。
『古語林』という辞書はこの「にき【日記】」という項をたてて、この『土佐日記』の例をあげ、 「「にっき」の「っ」が表記されない形。平安時代の和文ではこの形が普通。」としています。これは読みが「にき」であったとは言っていません。表記が「にき」だったというのでしょう。
では読みは「にき」だったのでしょうか。「にっき」だったのでしょうか。前記3の「息が外に出ない音」というのが難しいのですが、『古典再入門』ではすぐ後に「ニッキと読むのが当然である」という萩谷朴氏の説に賛成しているので、読みは「にっき」としなければならないということだと理解しておきますが、では誰が「にき」と読むことを主張しているのでしょうか。
現行教科書を十種ほど調べて面白いと思いました。この文が『土佐日記』の冒頭にあるため、すぐ直前に『土佐日記』という表題がすべてについています。
① 表題にも本文にも「振り仮名」なし(3種) 恐らくどちらも「にっき」と読めということでしょう。
② 表題には振り仮名なし。本文に「にき」と振り仮名。教授資料に「にっき」の促音無表記」とする(5種)
「にき」は表記がなであり、読む場合は「にっき」と読めということでしょうか。
③ 表題に「とさにっき」、本文に「にき」と振り仮名(2種) この教科書ははっきり本文の「日記」は「にき」と読めと
示しているのでしょう。
以上いずれにしても難しいというのが実感、これが出題されたら、「無理題」の典型と思っています。