パスツールの遺言 | 予防接種の参考本:ティム オシアー著(科学的根拠のない予防接種。)

予防接種の参考本:ティム オシアー著(科学的根拠のない予防接種。)

邦題「予防接種の本当の意味ー大切な人を守るために」
この本で使用している参考資料は、政府機関、主流の医学誌といった
「ワクチン接種を薦めている側」の資料なので、「ワクチン反対派」が感情的にいった不確定な情報なのでは、という心配がありません。

http://homepage3.nifty.com/himaari/newpage34.htm

現代西洋医学の中興の祖とでも言うのだろうか、フランスのパスツールが今の
医学に与え続けてきた影響は計り知れないだろう。そう、すべての病気は細菌
(ウイルスも含めて)が源にあるという「病原微生物説」が現代医学を支配し
ているからだ。彼はヒポクラテスの遺言を忘れてしまったのだろうか。

そのためにその一派は「魔法の弾丸」を唱えて、ひたすら微生物である細菌の
発見とそれを攻撃することに血道をあげてきたのである。
その時から人類は細菌との戦争に入ったのである。

そして時代を経て、その結果出現したのが超耐性菌スーパーバグの出現であった。
ここで人類は細菌との戦争に打つ手を失い始めたのである。
抗生物質が効かないのである。

さらに恐ろしいことに、「魔法の弾丸」そのものからスーパーバグが出現する
という事態が世界中で起こり始めているのだ。

「院内感染」とは言い換えれば「病院内の薬から湧いてくる細菌感染」という
ようなものである。医師達はまさか「薬から湧く」などとは思わないから違う
言い方をしているだろうが、実状は病院内で抗生物質を使うところにその強力
な耐候性物質細菌が出現しているのである。

パスツールとその一派は当時の医学界において論争を勝ち抜いた。そしてその
後の医学の思想を支配したのである。
「病気を引き起こすのは見えない微生物なのだ」と。
「微生物を発見せよ。そして皆殺しにせよ!」
「我々の敵は微生物なのだ。敵を攻撃する兵器を発明せよ!そして徹底的に叩くのだ。
この世界から病気を作り出す細菌を壊滅させるまで!」

まるで今の世界のテロ撲滅運動を叫んでいるかのように。

 そして、その檄を受けた信奉者たちは血道をあげて細菌対策に取り組んで行
った。そしてその成果が目に見えて上がっているかに見えたのだった。
人類は細菌との戦争に勝利したかのように見えた。
まずは天然痘撲滅宣言はまさに人類の科
学が今後の細菌との戦争を勝利したかと思わせるものだった。(実際は種痘が
天然痘を解決したという証拠は何もないのだが。その事実は「危ないぞ予防接
種」に克明に書いてある)

しかし、結果は(百歩譲って)天然痘撲滅以外に細菌との戦いに勝利をあげた
ものは何もない。それどころか敗戦が確実となった証拠ならいくらである。も
ちろん、大本営はそんな発表はしたくもないし、できるだけ隠そうとしている
。院内感染はその予兆であるのだが、いずれは世界の巷にも超細菌スーパーバ
グは出現することになるだろう。そのときにはもう「魔法の弾丸」は役に立た
ないのである。人類がやっきになって開発した抗生物質に耐性を持つ細菌は直
ぐに出現するからだ。
今の医学では超スピードで進化する細菌に立ち向かう能力はないのだから。も
し新しい抗生物質が出来ても、直ぐ細菌は進化するのだ。その薬剤に負けない
もっと強力な細菌となって出現してしまうのだ。しかも進化は超スピードであ
る。

ブラックジョークではあるが、ひとつだけ細菌に勝てる方法があるのだが。そ
れは一発で人間も殺ってしまうほど超強力な毒薬を用いることである。
笑い事ではないが、死んでしまえば細菌など怖くもない。とりつく身体がない
のだから。
抗生物質の最後の切り札と言われたバンコマイシンはその毒性の強さゆえ、余
程のことでなければ使われなかった強毒薬であった。超細菌はそれにさえも耐
え得る力を得たのであるから、まさに恐るべしスーパーバグなのだ。

もうこの後は敵(細菌)だけでなく、本体の味方(ヒト)もやっつけなくては
ならなくなったのが現実なのである。テロを撲滅しようとして味方も撲滅して
しまうという事態を招いてしまったのだ。きっと彼の世のパスツールもおちお
ち眠りについていられないだろう。それにはわけがあるのだ。
これほどパスツール神話はその後の世界に大きな影響を与えてしまっていた。
そしてそれは大失敗だと分かったのだ。しかし、それでもいちど信じてしまっ
た病原微生物論者の一派は止めることをできないでいる。
あくまでも「奴ら(細菌、微生物)を叩け!皆殺しにせよ!」と突っ走ってい
るのだ。
ここらで宗祖パスツールの遺言(死に際の言葉)に耳を傾けてもよいのだろう
が。

当時のヨーロッパにおいて論争を繰り広げた反パスツール一派があったのだ。

その代表的人物がフランス人生理学者、クロード・ベルナール教授であった。

彼は、「病気は外部から侵入することによってではなく、私たち自身の内部に
その原因がある」とした。すなわち外部環境主導でなく、内部環境主導だとい
うのある。
ヒトの体の内部環境のバランスがなにかの原因で崩れた結果が病気をなって現
れるのであって、感染症以外の病気ばかりでなく、感染症と言われる病気に対
しても
私たち自身を正常な環境に導くことで解決できるものであるという論であろう


しかも病気に対しては治療するというよりも、予防するということが最良であ
るというのである。今の医学が対症療法と言われ、予防よりも治療に主眼をお
いているのはパスツール一派の方が優性を占めた結果なのだろう。しかも治療
はあくまでも「攻撃」性を主としたものである。薬とはもちろん毒物だから有
害物が肉体臓器を攻撃し、手術は肉体を切り刻むという攻撃性をもち、放射線
も正常な細胞をも巻き込んで攻撃することだし、遺伝子を変成させるという。


 つまり、医療が成り立つのは予防よりも治療の方が利益になるのである。き
れいな空気や水。自然で質素な食事、自由な環境での生活など、いくら予防を
指導しても利益にならないのである。病気になってこそ医師達は出番があると
思っている。
また患者も病気の予防には関心がない。病気になってから他人の手に身を任せ
れば良いのだと思っている。それは病気の原因が外からのものだという考えか
ら来るのだ。つまり、自分は何も悪くないのに突然外から病原がやって来ると
いうのだ。

しかし、ベルナールは反対の見方をしていた。そして今日に至っては結局それ
が認められつつある事だ。この様な病気の見方を「地球論」と呼ぶそうだ。
しかし当時の論争はパスツール一派の勝利に終わったのは確かのようだった。
現代医学が未だに外部病原説が大勢をしめているのだから。


    パスツールの遺言

当初は勿論だが、晩年のパスツールはそれに満足していたのだろうか?
人は死に際に本当の事を知るという。パスツールの場合もその様だった。
彼は死に際の床で次のような言葉を語ったと言う。
 
   「病原体はなんでもない。すなわち、地球がすべてである」

地球=環境

ここで「地球」と訳されているフランス語の単語は teriain 。
これは「環境」という意味にもとることが出来るそうだ。
もしあなたの外部環境が健全であれば、そしてあなたの身体がよく耕された土
壌の様に十分に栄養をとっていれば、あなたの病気は十分抵抗できる  とい
うことなというのだ。ここで一つ付け加えると内部環境を狂わす有害物を摂取
していない事が大切な条件になるのであろうが。
(これは自分自身だけでなく、その親の代、そしてその祖先からの環境も含め
てではあるが)
このようにパスツール自身においては、死を迎えての床でその真実が分かった
ようである。しかし、すでにパスツール神話は一人歩きを始めてしまっていた
のだ。その後のコッホをはじめとして、病原菌は医学者により世界中で次々と
発見され行った。そしてその細菌に対しての「魔法の弾丸」と呼ばれる抗生物
質は人類の救世主の様に登場したのだった。一時は世界から病原菌を撲滅出来
るものと錯覚するほどの戦果を挙げたのだった。(ーーと、見えただけであっ
て事実は抗生物質の効果とは無関係にそれらの病気が自然に減少して行った事
実は「危ないぞ予防接種」を参照)

というのもつかの間、次々と登場したそれらの「魔法の弾丸」は効力を失い、
さらに新しい抗生物質の開発。そして耐性菌の出現、また新しい抗生物質の開
発・・・と続くのであった。
そして今、世界中で抗生物質の効かない超耐性菌が次々と登場して来ている。

抗生物質の開発は間に合わないのだ。というよりも、新しく出来る抗生物質に
は新しい耐性菌が直ぐ出現するのだ。まるでその薬剤を待ち受けているかの様
に実に素早く耐性菌は現れる。あたかも「薬から菌が湧く」ごとくである。

世界の細菌学者のトップの告白では、「もう人類は細菌との戦争に勝てない事
が分かった。これからは細菌との共生を考えないと人類は生き残れない」とい
う証言が出始めているのだ。
我々人類は今大変重要な岐路に立っているようだ。
このまま細菌との戦いを続け味方まで巻き込んで自滅するか。
それとも敵であった細菌を根本から見直し人類との共生を考えるか。
事実、細菌にとっても宿主がいるから存在し、宿主と共存共栄する細菌の方が
はるかに多いのだから。
病原菌と呼ばれる細菌にしても普段はおとなしいのであって、「何かの理由」
で突然繁殖して猛威をふるうと言われている。
原因が外にあるか、内にあるかという見方でヒト側が対処する方法や認識が百
八十度違ってくるのだ。
病原外部説にしがみついてしまう人は病気は治療するものだという考え方で、
自分の健康(生命)を他人である治療者(医師)に委ねてしまうことだろう。

「自分は悪くない。原因はすべて他から来る」というのだから、解決も他に任
せる。

しかし、病原内部説を主とする人は予防に心を向けるだろう。
故に自分の健康(生命)は自分で守る事に重点を置くことになる。治療といえ
ども他人任せにしない。そして病気と言うものの真実が見えだして来るだろう
。自分の身を他に委ねていた時に見えなかったものがゆっくりと見えだしてく
る。
そのとき見えない呪縛の様にまとわりついていたパスツールの亡霊から解き放
たれるのだ。

もともと病原細菌説には無理があったのだ。この世から細菌を一掃しようなど
という馬鹿げた考え方が始まりから間違いであったのだから。
この地球は細菌たち微生物で成り立っていたのだ。
土の中や海水の中には微生物でいっぱいなのだ。世界中微生物なくして植物動
物すべてのものが生存することなど不可能である。
もちろん、人間の体でさえも例外ではない。人間にとっても細菌たち微生物な
しでは存在などできないのだ。それを知らないで細菌を「バイ菌」と言って忌
み嫌っていたのだから身の程知らずなのはヒトの方なのだ。

自分自身は細菌なのだという事実。細菌が絡み合って細胞が生きている肉体な
のだから細菌によってヒトは生かされている。
「細菌をやっつける!」などと叫ぶのは「自分自身をやっつける!」と叫んで
いるのと同じことであったのだ。
この肉体を「無菌の存在でありたい」などという馬鹿げた願いは愚かを通り越
している。非文明人の思想を科学的思考と錯覚している野蛮人の思いでしかな
い。
抗菌グッズ思想で汚染された頭にはそれが分からないのだ。
菌が居ないのが清潔だと思いこんでいる。「あなたの身体のどこを覗いても細
菌だらけなのだ」と聞いて驚くことはない。それが正常な身体なのだから。
それでも、「すべての細菌を殺さないと気が済まない」のなら自らの命を絶つ
のが最良であろう。

そして細菌たちを有益菌と有害菌と分けていた愚かさにも気がつく時が来るだ
ろう。すべては内に有り。良いことばかりが内にあるのでなく、悪いと思われ
る事も内にあったのだ。細菌はそれに協力しただけのことである。細菌にその
責任を押し付けていただけのことである。
それぞれの細菌にはそれなりの存在理由があり役割があったのだ。ただ、医学
、生物学など人間の方でそれを認識できないでいただけのことである。
ゆえに「有用微生物」とか「有害微生物」とかで人間の都合で区別していたの
であろうが、まさか自分の方に責任があるなどとは考えたくもなかったのだ。


出発点が「細菌病原説」であったから以後の研究には見えない制限が出来てし
まっていた。
体内に常在する細菌が急に変身してヒトに悪さをするーーーという様に見方を
位置づけられてしまったのだから本当の事が見えてこない。確かに普段は何も
ない普通の細菌が急に変身して病原菌として働くーーーーかの様に見えるだけ
なのだ。
そこに「原因外部説」と「病原内部説」との反対の見方で違って見えるのだ。

(近年大発生しているアトピー皮膚炎、杉花粉症なども見方を変えて見ると真
相が見えてくるだろうが)

さらに進んで最終的には、「病気は悪いもの」と「病気は良いもの」というと
ころまで行き着くことだろう。
それはこういうことなのだが。

 病気とは外部からの攻撃(原因)で起こりそれに負けてはならない。攻撃す
るものの多くが微生物(でありウイルス)である。これがパスツール派の主張


 その正反対の論を言うとまったく逆のことになってしまうのだが。
それはクロード・ベルナール派の内部環境説の様になるだろう。

しかし、ベルナールさえも細菌の本性までは見つけられなかったのか、細菌味
方説まで説いたかどうかは不明である。
そこで一つの論を付け加えてみた。(この論はすでに今から半世紀以上も前に
出されていた)


病気とは内部に原因がある。しかもそれは人間にとって必要なのだ。内部の環
境が崩れたのを修正する為の働きである。すると、病原とされる細菌というは
どう解釈するのだろうか。
まったく正反対の考え方になるのだ。
細菌はその手助けをしているーーーーーとてもパスツール党には信じ難い話に
なる。
なぜ強い毒性を持つ抗生物質に耐性を持つ菌が出現するのだろうか?
なぜ普段おとなしい常在菌たちが病原菌として働くのだろうか?
なぜ病原菌と言われている強い菌を飲んでも発症しないのだろうか?(コレラ
菌を飲んで実験した学者の例)
病原菌は何を餌にして繁殖するのだろうか?それも繁殖する時としない時があ
るのはなぜだろうか?
そして菌が見つからないのに同じ症状の病気として発症するのはなぜだろうか

繁殖する菌はどのようにして成長し死んで行くのだろうか?最後には死滅する
のはなぜだろう?いつまでも永久に増え続けていくのではないのだから。

これらの疑問に答え、驚くべきばい菌(微生物)有用説を唱えたのが岡田茂吉
であった。
それらの詳しい論は直接読んで貰いたいのだが、ここではパスツールが唱えた
病原微生物説(ウイルスも含む病原外部説)はこの二十一世紀においては成り
立たない論となった事と、すでにパスツール自身が死の床において「それが間
違いだった」と告白していた事実を紹介したのである。

この事を知って医学専門家達は一度原点に戻って見直しを始めるべきだろう。
そしていつかは一般の患者になり得る我々は、一人歩きしてしまった病原細菌
説に固執している医師達に身を任せても良いのだろうか考えて見る必要がある
だろう。なぜなら、その病原微生物説に従った医療のの“攻撃性”に遭遇する
のは「あなた自身」に他ならないからだ。

「飲む打つ切る曝す」この意味するところ。自分自身を攻撃される事に気がつ
かないのだろうか。現代医学は病原を外からの敵をみなすため、敵を攻撃する
という指向性を持つ。しかしその敵の内には「我が身」も加えら得ているとは
知らないのだろうか。


きっとパスツールはいまでも彼の世では楽々と眠りにつくことが出来ないでいる
だろう。かつて自分が主張した論がこの世界から破棄されるまで。
彼は大自然の偉大なる働き、微生物による「大調和」を見逃したのだから。

参考図書
超」細菌の報復-抗生物質がつくりだすスーパーバグ
一九九六年八月三〇日第一刷発行
ジェフリー・キヤノン 著
今西二郎 穂北久美子 訳
発行所  三田出版会