突然死(SIDS) とDPT三種混合
オーストラリアの研究者、ヴィエラ スケイブナー博士(PhD)が、乳児の突然死と三種混合接種の関連性に気付いたのは、偶然の出来事からです。
彼女の夫が、突然死を防ぐための試みとして、乳児の呼吸モニターを作ったことがきっかけでした。
まもなくスケイブナー夫妻は、何百人もの乳児を観察していくうちに、苦痛が起きる明確なパターンがあることに気付きました。DPT三種混合を接種
した後、16日間苦痛が続く-このパターンは、間違いなくはっきりしていました。それから夫妻は、自分達の発見を、テネシーでの200件の突然死の研究を
含め、沢山の関連する研究に照らし合わせた結果、これと同じパターンが見られることに気付いたのです。
大抵の国では、このスケイブナーの業績をやっきになってもみ消そうとしていますが、彼女は負けずに努力をつづけ、とうとうオーストラリアでは
DPT三種混合接種の義務化は廃止になりました。[243]
1983年にはLos Angels Country Coroner’s
Officeにおいても、DPT三種混合とSIDS(乳児の突然死)の関連性を示す研究がされています。CDCが最近、DPT接種後の24時間以内に死亡
しているテネシー州の乳児200人に関する調査を実施したのですが、それに研究員達が興味をもち、関連性があるか調べてみようと思い立ったのです。そこ
で、LAの研究者グループは最近突然死で亡くなった145人の乳児の両親に会って話を聞いてみました。その結果分かったことは、次の通りです。
突然死をつげた145人の乳児のうち、53人が少し前にDPT接種をしたばかりである。
内訳:
DPT三種混合接種の後、4週間以内に死亡した件 51%
1週間以内に死亡した件 32%
1日以内に死亡した件 11%
研究員達は、このデータを「注目すべき数である」(Baraff)[230]と述べていますが、私に言わせればこれはずいぶん控えめな表現です。
日本における、良き短き時代
スケイブナーは自著の本の最初の部分で、1975年から1985年の間、日本がこの短期間だけ正気を取り戻したと述べています。この10年間だ
け、日本ではDPT三種混合接種を「2歳児から」に延期しましたが、その間 SIDS突然死が皆無になったのです。そして政治的な理由から1985年に接
種を「生後3ヶ月から」に戻しましたが、その結果、突然死もまた起こり始めたのです。[232]誰もこれに
気付かなかった、なんてわけはありませんよね。