先ほど、ご近所の92歳で亡くなったご婦人の、弔いに行って来た。、先月末、かかりつけ医で会い、馬鹿っ話をしてから二週後の正月三日に亡くなった。
晩飯を食っている時、我が家の前に救急車が停まった。その時、亡くなった御仁の衛に来たと瞬時に解った。翌日ご近所に聞くと、風呂場で亡くなっていたという。
葬式などは行わず、お骨は家に戻っていると聞き、今日、弔いに行って来たと言う訳である。
たとえ線香をあげて、手を合わせるだけでも、不祝儀にはお召の着物を着ていくのだが、今回は出してあった紬の羽織に合わせ、紬黒の着物を着た。
本来なら、普段着である紬を着ていくのは、礼に反するのだが、今回は仏さんに大目に見てもらうことにした・・・。
角帯は鼠の織の帯、手持ちの角帯では一番手の込んだ品。
紬の羽織を重ねたが、改まった場所なので房の羽織紐を締めた。
下駄は正式に、本天の鼻緒を挿げた角細にした。買ってから二度ほどしか履いたことが無いので、鼻緒がきつい・・・。
本天の鼻緒を挿げた下方の下駄もあるが、双方とも不祝儀以外は履いたことが無い。
今日の小物は御覧の品、ご近所なので手に下げる合切袋は無し。
香典は塗り台付の、袱紗に包み懐に入れてご近所に向かった。出かける前家の灯りを確認してから、着物に着替えて行った。
弔う前、娘さんに宗旨を尋ねてから鈴を鳴らし、開経偈・般若心経を唱えた。
暮れに会った時は、まだまだ長生きしそうな感じだったが、浴槽の中で亡くなっていたという。
昨日のブログネタにした紬の反物は、京都に送り返した。手にした時の第一印象が生地が薄く、赤みを感じた。そこで今朝、表に出て改めて生地を見ると赤い線の織むらが・・・。
そこで京都の松田はんに電話をし、送り返すからざっくりした生地の紬を探してくれと、再度頼んだ・・・・。
その後松田はんとアタシと三人で呑んだことのある、日本橋呉服問屋の番頭さんだった御仁に電話、紬を探せないかと問うと、無理だとの事。
アタシが探しているような反物は、近ごろは何処でも織っていないのである・・・。今回の反物ついでに曳舟の型染屋にも電話をすると、近所に仕立て屋が居ると言う。
てんで、今度浅草へ行くついでに、曳舟に寄ってみるつもり・・・。
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