◆染めた生地で仕立てた道行(着物)◆ | 頑固オヤジの、ばり雑言!!

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真っ当な、和の文化を残したいもんだわさ。
 
劣化し続ける和文化に警鐘を鳴らすべく、
思いの丈を書き綴った強面親父の言いたい放題!

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亡き女房の部屋に、毎週片付けに行く。毎回女房の実家に寄り、義姉を車に乗せて行くようにしている。

 

遺品の整理をするのは気が重い、そんな中持ち帰って来たのが御覧の道行。

 

 

 

 

以前、手元にあった地模様の有る白生地と一緒に、アタシが染めた色見本を出入りの呉服屋に渡し、染めてくれるように頼んだ。

 

店を持たず、問屋・仕立て屋・お得意さんを回る、悉皆屋を兼ねたような呉服屋は昔は多かった。

 

暫くして呉服屋が染物屋に染めさせた反物を持って来たが、一目見ると色が違う。その事を呉服屋に言うと、想像した通りの返事が返って来た。

 

「見本に染めた物と、反物は生地が違うから、仕方ないと染屋が言ってました」と抜かしやがった。腕の悪い染物屋の、お決まりの言い訳台詞。

 

そこで呉服屋に「色抜きと湯のしだけやれと、染物屋に言っときな」と染め上がった反物を突き返した。

 

染め上がった生地を一目見た時、染料の選択間違いが一目で解った。と同時に、染物屋の腕の悪さも分かったと言う訳ヨ。

 

アタシが染め直した着生地を見た染物屋の様子が、想像できる。バーロー、染の腕は手前より上だよ!!と言ってやりたかった。

 

染め上がった生地で道行きを仕立てたのは、この頃健在だったアタシのお袋。

 

 

 

 

 

同じ着物の仕立てでも、仕立て上がりが良いと高い仕立賃が客に請求できると、良い顧客を持った呉服屋がお袋に仕立てを頼みに来たもんだった。

 

この生地を染めた後、色々な生地を染めるようになった・・・・。

 

 

 

 

裾回しや半襟は、昔から染めていた。今流行りのぼかしの裾回しが大嫌いで、ハギレで試し染めをした後、これと思った色の染液になると、そこに生地を入れて染める。

 

薄い色のぼかしの裾回しを買ってきて、色抜きをした後に、染めることが多かった。

 

 

 

古くて汚れた反物を洗い張りした時の写真、伸子は塩沢の酒井織物の女将さんに電話をし、送って貰った。

 

この頃は張り板も三枚あり、洗い張りなんぞは、工房の隅でこなしたもんだった。色々な反物を染めて来たが、思い出深い反物が下の二点。

 

 

 

この一つ紋の着物jは、女房の西方浄土への旅立ちの装束にした着物。

 

日本橋三越の和服売り場で白生地を目にし、「オイラが染めてやるよ!」と買って来た物を工房で染め、亡きお袋に仕立ててもらった着物。

 

裾回しも染め上がった生地の色に合わせて、染めた。背の一つ紋は、日本橋の呉服問屋でプラチナで縫い紋を入れてもらった。

 

 

 

 

 

 

もう一点の思い出の反物は、娘の成人式の振袖下に着せる長襦袢。

 

京都の絞り職人に電話をし「身頃に柄は要らねぇからよ、振りぎりぎりに柄が出るよう絞ってくれ」と長襦袢地の絞りを頼んだ。

 

その時「生地と一緒に色粉も送って、色は玉三郎の赤」と・・・・。

 

送られてきた生地と色粉で工房で染めたのが、上の生地。午前中に座間の工房まで乾いたであろうこの生地を取りに行。

 

それを手に大岡山の東急病院で入院中の婆さん(母親)の病室へ行き、そこで絞った括り糸を解いたのが、上の写真。

 

括り糸を婆さんの目の前で解き、柄が現れる瞬間を見せてやろうとしたのに、病院へ来るのが遅いと婆さんはすねて、アタシの手元を見ようともしなかった。

 

 

 

 

染め上がった生地で仕立てたのが御覧の長襦袢、上に着た総絞りの振袖は娘が7・8歳の頃、京都の絞り業者の展示会で目にし、買っておいた生地で仕立てた。

 

今じゃ作ることが出来ない絞り技法でこさえた総絞りの反物、その写真はHPにのせてありますよ。

 

 

 

懇意にしている腕の良い絞り職人に、うそつきの袖を絞ってもらったことがある。見本に見せた絞り生地を見「こんな仕事、出来ないよ!」

 

と、一旦は断った奴さんを説き伏せて絞ってもらった生地が、御覧の絞り。絞りは奴さん、染はアタシと東京・京都間を二往復させ、二人でこさえた絞りの生地。

 

この生地がどれくらい素晴らしいか解る御仁は、今の世の中、皆無と言って良い・・・・・。

 

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