川崎に加瀨山と呼ぶ小高い丘がある、ここに城を造ろうと考えたのが太田道灌。
多摩川と鶴見川に挟まれたこの丘は、城を築くには絶好の地形。水量の多い多摩川から水を引けば、城を取り囲む堀を造るのにもおあつらえの場所。
ここに城を築こうと思った太田道灌だが、ある夢を見た所為で、ここより北の今の皇居が建つ場所に江戸城を造った。
其の時見た夢にちなみ、この場所を今は夢見が崎と呼ぶ・・・。
数週間前にもこの場所をブログネタにしたが、先日、そろそろ山吹の花が見頃だろうと、再び訪れた。
太田道灌が城を造ろうと思ったくらいだから、丘の上は結構な広さ、四方を見下ろせるここからは、東京湾が見渡せたと言う。
丘の頂上にひときわ高くなった処が円墳、この辺りに山吹が群生しており、それを愛でに来るのも毎年の事。
多摩川を挟んだ北側、多摩川・田園調布あたりも古墳が沢山あり、上流の上野毛にも大きな古墳がある。古代人には大きな川の近くが住みやすかったのだろう。
この古墳脇に太田道灌の碑がある、そこにある写真の像は昔都庁が東京駅側にあった時、庁舎の前に建っていた銅像。
何の用で訪れたか記憶に無いが、東京人なら何回か訪れる場所だった。
七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき てぇ詩があるが、これを見て太田道灌を思い浮かべる御仁がどれほどいるか。
十代の終わりに太田道灌と山吹の小枝を差し出した乙女の逸話を読み、其の時覚えたこの詩を、山吹の花を見ると今でも思い出す。
この時の山吹は一重でなければならない、八重の山吹はこの場面には不釣り合い・・・・・。
我が家の山吹は今が見頃、その写真は後日のお楽しみに・・・・・・。
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