【三笠宮殿下の知られざる言葉①】
昭和天皇の弟に三笠宮崇仁という方がいる。
2002年、40歳代の若さで《謎の急死》を遂げた高円宮殿下の父親です。
彼の言葉に、なんと次のようなものがあるんです。『古代オリエント史と私』から引用します。
〈1943年1月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして1年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。(中略)ある青年将校─私の陸士(陸軍士官学校)の同期生だったからショックも強かったのです─から、兵隊の胆力を養成するためには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の荒野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。〉
これは匿名の元日本兵の言葉ではありません。皇族の三笠宮殿下の言葉です。
大虐殺なかった派は、もう言い逃れはできないでしょう。
【三笠宮殿下の知られざる言葉②】
実は三笠宮殿下は次のような言葉も残しているんです。
「偽りを述べる者が愛国者と称えられ、真実を語る者が売国奴とののしられる世の中は、私は経験してきた」
これ、まさに南京事件論争に当てはまると言えるでしょう。
南京大虐殺は動かぬ事実にもかかわらず、「大虐殺はあった」と真実を語る者は売国奴とののしられ、「大虐殺などなかった」と偽りを口にした者が愛国者と称えられてきました。
【ツイッター(現X)での南京事件論争】
たとえば、私はかつてツイッター(現X)で南京大虐殺の論争をかわしたことがあり、便衣兵についての記事の投稿ツイートに次のような反論を入れられたことがあります(相手は仮名Aさんとします)。
「東京裁判では便衣兵は取り上げられていない。よって南京大虐殺など存在しない」
意味のわかりにくい反論ですが、これに対して私はこう反論しました。
「私は記事の中に4つほど主張を書きました。それらに対する反論をお願いします」
翌日、一応反論は来たのですが、どれも根拠のない苦しすぎる反論ばかりでした。
唯一、「ジュネーブ条約がどうたらこうたらで……中国人便衣兵を処刑しても違法にはならない」という、それなりに根拠らしきものがある反論はあったのですが、便衣兵問題というのは大先生たちの間でも意見が分かれている複雑な問題なのです。それをなぜどこの馬の骨ともわからない素人が断言できるんでしょうか?
そもそも、なぜ最初から私の4つの主張に対して反論をしなかったのでしょうか……?
ところで、私のツイートには好意的なリプもリツイートもいいねもほとんどされなかったんですが、どういうわけかこんな卑怯者のAさんのリツイートに、好意的なリプ、リツイート、いいねがたくさんされていたんです。
さらにです。そのリプ、リツイート、いいねに対しても、たくさんの好意的なリツイートがされていたんです……。
このように、「南京大虐殺はあった」と真実を口にする私のような人間が売国奴とののしられ、「南京大虐殺などなかった」と偽りを口にするAさんのような人間が愛国者と称えられる《世界》が実際に存在するんです。
ちなみにAさんのリツイートのリプやリツイートを覗いてみると、私への罵詈雑言で埋め尽くされていました……。
三笠宮殿下はこうした世界をうんざりするほど目の当たりにし、前述の言葉を残したのだと思われます。
それにしても《皇族》という微妙な立場の人だったにもかかわらず、非常に勇気のいる発言だったと思われます。
『再審「南京大虐殺」』の著者たちは自分たちのことを「清明公正だ!」などとほざいていますが、清明公正とは三笠宮殿下のような人のためにある言葉だと思います。 『南京大虐殺はロスチャイルドの陰謀で起きた』終わり