■自我が崩壊しかかるとは■ | 人生は自らデザインする!

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こんにちは。

昨日は奇跡講座との出会いについて書きました。↓
■奇跡講座「ア・コース・イン・ミラクルズ」(奇跡講座ACIM)

ありがたいことに早速ご質問をいただきました。
「自我が崩壊するってどんな感じなのでしょうか?」


実は昨日の投稿では
「自我が崩壊しかかった」と書きました(笑)
残念ながら
わたしの自我は崩壊しきってはいません(笑)

ええ、ええ
まだちゃんと残ってますとも(笑)

自我が本当に崩壊してしまったなら
もうこの世にはいないかもしれませんね。

それは死にたくなる、とかでは決してないですよ。

この世に存在するお役目が終わるのではないか
早々に天に召されるのではないか
そんな風に今は漠然と考えています。


では自我が「崩壊しかかった」状態は?というと

何をしてもムダじゃん!と思い知らされるということ。

ここで誤解をしてほしくないのですが
「自我」が何をしてもムダだ・・・と気づき
「わたし」の存在の前にひれ伏す感じなのです。


自我は「恐れ」をベースにして
この世には正解と不正解があると決めつけ
正解の道だけを、得する道だけを選ぼうと
あれやこれや小さな頭で考えて判断するわけです。
そして行動した結果を分析して
データとして蓄積しながら
自我の価値観としてまた判断材料にしていきます。

そして「わたし」を存在たらしめている
「大いなる意思」に対抗しようとして
常にけんかをふっかけているんですね。
「俺が俺の人生なんとかしてやるぜ!」的に(笑)


しかし「自我」が自分の相手にしているものが
とんでもない大きな存在であるということと
自分の存在自体がその大いなる意思の上にある
ということに気づかされ、ガーンってなるんです。

恥ずかしいやら情けないやら・・・
そういう意味で自我は
「俺が何したってムダじゃん。降参です。」と
その大いなる意思なる存在の前にひれ伏すということです。

でもそれと同時に
確実にその「大いなる意思」の存在を確信するのです。
確信したからこそ、ひれ伏すことができたのです。

そしてその確信は「信頼」を生み
自我のベースである「恐れ」というものを
すごーくたくさん減らしてくれるのです。

そうするとどうなるかというと
「大いなる意志」の存在というのは
「わたし」を「わたし」たらしめている存在です。

ですから自我の勢力が小さくなったということは
「わたし」の声がよく聞こえるようになるのです。

「わたし」というのは「大いなる意志」によって
存在させられているわけですから
「わたし」=「大いなる意志」という図式になり
生きているという事実に対する信頼が増し
だからこそ人生に対しても
ますます信頼できるようになります。

本当に「生きているってすばらしい」と
実感できるようになってきます。


自我が崩壊しかかるというのは
自我にとってはまさに!
身を切られる思い、というより
本当に激痛でもう勘弁して・・・という感じ。

でもそこを越えてしまえば
あらら♪
なんだかとってもラクになったわ☆
なんて
あの時の暴れようがウソみたいに感じられます。


まさにベストなタイミングで
ベストなことがやってくるとはこのことね!と
妙に納得したのでした。


すべての人に同じようなことが起きるとは限りませんが
むしろ起きてほしくないですけれど
何かしらのヒントになれば幸いです。


わたしってマゾっ気があるのでしょうか・・・
人生いつもこんな感じのような気がします。
でも誰かのお役に立てるなら良いのですよね。
それが「わたし」の意思かもしれないですし(笑)



最後までお読みいただきありがとうございます。


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