あなたがもしも磨く前の宝石だったとしても石ころの中に混じっていては石ころとして生涯を終えるだろう。宝石だと気づかれてショーウィンドウに並ぶためにはあなたは光る必要がある。あるいは目利きを育てる必要がある。しかし最も大切なことは石ころの人生もまたこの世で素晴らしい生き方なのだよ。
良い人は常識のある人だ。良いってなんだろう?常識ってなんだろう?創造する人は非常識な人だ。常識はずれのことを言う。これまでにないものを創り出す。これまで誰も考えたことのないことを現実化する。さて、自分はいったいどちらの人になりたいのだろう?何のために生きているのだろう?
同じ鳥だけれど雀と鷹では住む世界が違う。雀と鷹はどちらが優れているんだろうか?雀は鷹をうらやんでいるだろうか?鷹は雀をあざ笑っているだろうか?雀はみじめに生きているの?鷹は?きっとどちらもただ「生きている」のだ。ちょっと目を向ければ、ばかばかしいことに心を乱される自分がわかるね。
荘子の言葉に「無用の用」というのがある。有用と無用は相対的なものであり、無用だと思われるものであっても、味方を変えれば有用になるということだそうだ。確かに、すぐに無用だとか無駄だとか結論を出してしまうのは、自分が常識に囚われているのを白状しているようなものかもしれないね。
自分にとって辛いこと、苦しいことがあると希望が失われたように感じるかもしれない。でも、その出来事にはこれからの自分のために役立つことが「ある」と思うだけで、不思議なことに「答え」が必ず「ある」とわかる。「どうしようもない」じゃなくて「どうにかしようがある」に変えればいいんだよね。
学校での評価は2種類ある。相対評価と絶対評価だ。相対評価はクラスや学年の中で自分の成績がどの位置にいるかによって決まる。絶対評価はその人自身が課題をどのくらいクリアできたかを評価する。他者と比べた相対評価かその人自身のクリア度合いか。相対評価を自分の絶対評価にしていませんか?
あなたの成功したいの源はいったいなんだろう?思い知らせたい、見返してやりたい、は単なる欲望だ。そのエネルギー源では燃費が悪いのだ。どんなに頑張っても成功には至らない。いや成功するかもしれないが、成幸しない。自分を動かすエネルギーも地球に優しくエコを目指そうね。
運命が決まっているのなら何もしないことが一番運命に従うことなのかもしれない。ならば何もしないでおくといい。すべてを中止してそこに留まってみるといい。それでもあなたの中に「何かしたい」という思いがざわざわし始める。何かはわからなくても動きたくなる。それが命の源。命(めい)を運ぶ力。
人は正しいと思えば「正しい」と言い、間違っていると思えば「間違っている」と言う。ではその正しいと間違いを決めている考える自分は「正しい」のか「間違っている」のか?その判断基準はどうなのか?ではその基準を決めた自分は?こうして考えていくと「正しい」とはなんて危ういことなのだろう。