擁翠園
土日はお休み
平日は9時〜17時半
まだ開園している時間ですが
どこから入れるの?



そしてその近くには
裏千家学園

宗家兜門の対面にある
「本法寺」

千玄室氏と千宗室氏の提灯



この寺にゆかりのある
長谷川等伯像が
多宝塔を見上げるように
建立されていた


美しい多宝塔
この水色が素敵

叡昌松

何やら雲行きが悪いと思う間もなく
スコール

寺の軒下に避難

2、3分程で雨が上がり
更に美しく輝く多宝塔

尊陽院

巴の庭見学は
時間外
また来よう




朝鮮通信使ゆかりの地

「1592年から98年の7年に及んだ文禄・慶長の役は朝鮮半島の人々に甚大な犠牲を与えた。豊臣秀吉の死によって戦闘は終息したものの、その戦後処理は難航した。朝鮮側は新しく日本の親権を握った徳川家康の真意を確かめることが先決だと考えていた。そこで1604(慶長9)年に松雪大師惟政が来日することにつながった。松雪大師はこの戦中に僧兵を率いて日本軍と戦った人である。
同年12月末に対馬島主などと共に入洛した松雪大師は本法寺に滞在し、家康との会見を待った。その間、京都五山の著名な僧侶たちが本法寺に大師を訪ねて詩文の交流をしたり、仏教や儒教の知識について筆談問答を重ねた。ある日本の僧侶は松雪大師を「博覧強記・筆跡もまた麗し」と評している。家康との会見は翌年3月初旬に伏見城で行われた。
この会見で家康は「我は朝鮮に讐怨なし。和を請う」と述べた。この報告を松雪大師から得た朝鮮朝廷は「家康からの謝罪の意思を表した国書の到来」などが国交回復の条件とした。これが届いたので、1607(慶長12)年には朝鮮から戦後初めての使節団(回答兼刷還使)が来日することにつながった。」

悲しい歴史

ここも時間外
時間拝観に来ましょう♪