この世に究極の神秘があるとすれば、それは《神》です。

インドに受け継がれてきたヴェーダ、プラーナ、シャーストラなどの聖典には、宇宙を生み落とした神が、幾度となく人類を救済するために、様々な姿形を身に纏ったアヴァターとして降臨したことが示されています。


これらの聖典は、人も宇宙も一定のサイクルの中で生まれては滅び、滅びては新たに生まれるという輪廻転生を繰り返していると教えています。

地球における人類の歴史は、科学者が考えているような数万年や、数十万年ではなく、もっとはるかな悠久の時の流れに育まれてきたものです。

 

聖典は、人間の一生に幼少期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、人類が経てきた時の流れの中にも、神の子として神と交流しながらダルマ(神から見た正しい行い))の実践に生きていたクリタ ユガ黄金の時代)があり徐々に神性を失いダルマの道からも逸れることによって堕落した次のトレタ ユガ(銀の時代)があり、さらに堕落したドゥワパラ ユガ(銅の時代)があり、最も堕落しきったカリ ユガ鉄の時代・末世)があると教えています。

 

ちなみに現代はカリユガで、モーゼやブッダやキリストが生きていた時代もすでにカリユガだったということになります。

聖典によると、アヴァター(神の化身はその四つのユガの間に10回降臨し、カリユガ以前の段階で9の化身の降臨と活動は終わっていて、残っているのはカルキアヴァターだということになります。

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そして「彼こそがカルキアヴァターなのではないのか」 と考えられているのがサイババなのです。

 

 

インドの聖典によると、四つのユガが終わると、旧約聖書・創世記にあるノアの箱舟のような洪水が地球全体を覆い、人類の歴史はいったんリセットされ、その後新たな人類の歴史が始まることになります。

インド聖典の研究者は現代がカリユガであり、その末期に位置していると考えています。

もしそうだった場合、人類の未来に待ち受けているのは繁栄ではなく天変地異による滅亡です。

 

 

そしてそのことは、ノストラダムスに代表されるような多くの占星術師や霊能者たちが残していた予言と一致しています。

そのため、この件についてサイババに質問した人たちは何人もいます。


サイババはそうした予言に対して「間違ってはいない」と仰っていました。
「その時点では、人類の未来はそうなるはずだった」と。
そのうえでこう続けておられました。。

「人類を滅ぼすために降りかかるはずだった天変地異や災厄のすべては、既にこのアヴァターがキャンセルしている。今後人類にどのような災厄が降りかかったとしても、それは、災厄の本体が消されれたことによる余波として起こっているもので、人類を滅ぼす致命的なものとなることはない。人類には再び、黄金の時代が訪れる」

 

「サイババというアヴァターが、この時代に三度異なった人間として降臨することは、バラドワージャの時代に決まっていたことである」と、サティヤサイババは教えておられました。

「サティヤサイババの前にはシルディサイババが降臨し、サティヤサイババの後にはプレマサイババが降臨する。それが最後であり、その以降はしばらく(おそらく人類の歴史がリセットされた後までという意味だと思われます)アヴァターの降臨はない」と。

 

このブログ記事は、今後プレマサイババの降臨があった時、私がこれまでサティヤサイババの帰依者として学び、体験してきたことが、誰かの役に立つのではないかと思って書いているものです。

 

 

プレマサイババが降臨する(赤ん坊として生まれる)時期や、存在が広く告知される時期についての情報は、サイババ自らが生前に語るべき方たちに語っておられました。

その容姿風貌については、サイババが物質化して帰依者に与えた指輪やブローチなどに長い年月のなかで少しずつ浮き上がってきて、すでにはっきりとした画像として世間に出回っていたりします。

しかし、私がサイババの帰依者として言えることは、「その通りになるとは限らない」ということです。

 

なぜその通りにならない可能性があるかというと、もしもそうして世に知られている画像のどれか一つにでも、サイババが生前「公にしてはならない」と言っていたものが含まれていたとしたら、それは神との約束を人類が破ったということになるので、その報いとして、未来の世界で起こることも変化していく可能性が大きいからです。

 

 

サイババは「私はすべての人の過去と未来を知っている」と常日頃から仰っていました。

それと同時に「アヴァターはけっして人に直接的に命令を下すことも、直接的な助言をすることもない」とも仰っていました。

どういう事かというと、もしあなたが将来サイババと直接言葉を交わす機会に恵まれ、その時あなたに何か重大な危険が迫っていたとしても、サイババはあなたにその危険が迫っていることを、直接的な表現によって教えることはなく、間接的な表現でしか知らせないということです。

それがなぜかというと、もし神が人の未来に待ち受けているものを具体的にはっきりと教え始めたならば、この世には何のドラマも、喜びも驚きも生きる意味も生まれなくなってしまうからです。

 

サイババは、救いを求めるすべての人を救おうとします。

そしてそのための助言をします。

その助言に従うかどうかは、その人がどれだけサイババを神の化身と信じているかによって決まります。

つまり、サイババに救われるかどうかは、サイババが決めるのではなく、その人の信仰心が決めるのです。

 

サイババは善人であるか悪人であるかによって態度を変えることはありません。

善人も悪人も完全に平等に扱います。

しかし、サイババに救われる人と、救われない人に選り分けられます。

その二者を選り分けいるのはサイババではありません。

それは、それぞれの人々が持っている信仰心なのです。

しかもその信仰心は、今その人が持っている信仰心だけを言うのではなく、将来その人が持つであろう可能性としての信仰心も含まれているのです。

なぜなら、量子力学の最も有名な思考実験である「シュレーディンガーの猫」の話のように、この世を支配している最も謎めいた自然法則の中には ”未来を決定する確率” というものも存在していて、その確率に介入することの出来る力を持つ唯一の存在がアヴァターだからです。

 

 

サイババを神の化身と信じることは口で言うほど簡単なことではありません。

どちらかというと、ほとんど不可能と言えるほど困難な一面を持っています。

サイババを神の化身と信じることがどれほど難しいかを教えてくれる物語は無数にあります。

 

 

今回はそうした物語の中から、サイババが死者を蘇らせたときの話と、サイババの助言に従わなかったため、帰国の途中で武装したテロリストによるハイジャックにあい、処刑されそうになったアメリカ人医師の話の二つを紹介します。

 

 

サイババが死者を蘇らせたことはよく知られていますが、その時、死者の家族がサイババにどれほど「これでもあなたたちはまだサイババを神の化身と信じ、その言葉に従い続けることが出来るのか」という試練にさらされなければならなかったかを知っている人はほとんどいません。

 

以下は、その物語の紹介です。

 

 

その出来事が起こったのは1953年のことです。
場所は、プッタパルティのアシュラムで、その試練を経験したのは、ラダクリシュナ氏の妻と娘夫婦です。

 

ラダクリシュナ氏はアンドラプラディシュ州のクッパムというところで工場を持っている名士でした。
年齢は60歳ほどで、重い胃潰瘍をはじめとする様々な持病を抱えていて、健康状態は極めて悪いものでした。

彼はサイババのことを少し前から知っていて、アシュラムを訪れたのは、サイババに何とかこの病気の苦しみから救ってもらいたいという思いからでした。

彼は、ヒンドゥ教徒にとっての一大宗教行事である燈火祭を間近に控えたプッタパルティのアシュラムに向かいます。
これ自体が、荒れ野を越え、河を渡りながら、地の果て向かうような苦難の旅でした。

彼には、妻と、18歳の娘とその夫の三人が付き添っていました。


アシュラムにはすでに大勢の人が押し掛けていて、木の下で野宿している人も大勢いる中で、彼らは運よく建物の一室を与えられました。

ラダクリシュナ氏はダルシャンに出ることもできず、一日中粗末なベッドに横になったまま過ごしていました。
そんなある日、サイババが部屋にやってきます。

ラダクリシュナ氏は、自分の病気の苦しみとともに 「このような状態が続くのなら、いっそ死んでしまいたい」 とサイババに訴えました。

サイババはその訴えをただ微笑みを浮かべて聞いただけで、治すとも治さないとも言わず立ち去って行かれました。

それから間もなく、彼の病状が急変し昏睡状態に陥りました。
彼の妻は狼狽して、サイババにそのことを告げに走ります。

彼女の求めに応じる形でサイババはラダクリシュナ氏の部屋を訪れ、彼の様子を見たあと 「何も心配しないでよい。何もかもよくなる」 と言って部屋を後にされました。

しかし、翌日になっても病状は好転せず、昏睡状態のままだったので、娘婿のヘムチャンド氏はその地方で探し出せる看護人を連れてきて診察させます。
看護人の所見は 「死期が迫っていて、助かる見込みはない」 と言うものでした。
その言葉通り、1時間後には『死期の喘鳴』が始まり、脈が消え、体は青ざめて硬直し、体も冷たくなっていきました。


妻と娘はババに会いに行き、ラダクリシュナ氏が死んだようだと報告しました。

それを聞いたサイババは笑って、ラダクリシュナ氏が横たわっている部屋に行きました。しかし、ベッドに横たわっている彼を見ただけで、何もせず、何も言わずに立ち去りました。

それから三日間、彼女たちは愛する夫や父が生き返ることを期待して寄り添い続けましたが、ラダクリシュナ氏は生き返るどころか、死の兆候だけが確実になり続け、耐え難い死臭さえ漂い始めました。

その間サイババは一言の言葉もかけず、部屋を訪れることさえありませんでした。

それを見ていた人々は、ラダクリシュナ夫人に「彼はすでに死んでいるのだから、アシュラムから出して埋葬しなければならない」と説得し始めました。

しかし夫人と娘は、その状況になってもサイババが 「何も心配しないでよい。何もかもよくなる」 と言って部屋を出ていかれた以上、サイババはサイババのやり方でその言葉通りのようにしてくださると信じて疑っていなかったため 「スワミがそうせよと仰るまでは、ここに寝かせておきます」 といって譲りませんでした。

困り果てた人々が、そのことをサイババに告げに行くと、サイババはただ一言 「そうか」 と言っただけでそれ以上は何も仰りませんでした。

周りの人々はどうしていいかわからなくなり、とにかく、一刻も早く死体を部屋から運び出してほしかったので、そうするようにサイババに内緒で夫人にプレッシャーをかけ続けました。

ラダクリシュナ夫人は、娘夫婦を部屋に残して、一人でサイババの部屋に行き、人がとやかく言っていることを告げ、自分はどうしたらいいのかを尋ねました。

そんな夫人に、サイババ様はこう仰ったと言います。

「人の言うことを気にしなくていい。恐れてはいけない。私はここにいる」

そして「すぐにラダクリシュナ氏を見に行く」と約束されました。

彼女は、その言葉を胸に部屋に帰り、娘夫妻と三人でサイババを待ちました。
しかし、何分が過ぎても、1時間がたってもサイババは来られませんでした。
そんな状況の中で、三人がほとんど希望を失いかけていたとき、部屋のドアが開けられサイババがやってこられました。

それはラダクリシュナ氏の脈が途絶えてから三日目の午後二時半頃でした。

サイババの姿を見たラダクリシュナ夫人は、サイババに駆け寄り、足許にひれ伏して泣き出しました。
娘も同じように泣いていました。

「あまりに遅く来られた」と神のみ前に泣き伏したラザロの姉妹マルタとマリアのように、悲しみに打ちひしがれている三人に向かって、サイババは優しく、部屋を出るように言われました。

言われるままに三人が部屋を出ると、サイババはドアを閉じました。
部屋の中で何が起こったかを知る人は誰もいません。

ほんの一、二分が過ぎた後、サイババはドアを開けて三人を部屋の中に招き入れました。
彼女たちがそこに見たのは、ベッドの上で微笑んでいるラダクリシュナ氏でした。

サイババは彼の頭を撫でながら 「何か言ってあげなさい。みんな心配しているよ」 と促すと、彼は家族の様子に当惑しながら 「みんな何を心配しているんだね。私はこの通り元気だし、ババはここにおられるのに」 と告げたと言います。

サイババは夫人に「あなたの夫をあなたに返してあげた。さぁ、熱い飲み物をあげなさい」 と仰り、夫人がスープを持ってくると、それを自らの手でスプーンにすくって彼に飲ませ、三十分ほど皆と一緒にその部屋にいた後、全員に祝福を与えて何事もなかったかのように部屋を出ていかれました。

翌日になると、ラダクリシュナ氏は、バジャンに参加するため歩いてマンディールまで行けるほど回復し、その五日後には、ババの許しを得てクッパムの自宅へと帰っていきました。
彼を苦しめていた悪性の胃潰瘍や他の余病のすべては、すべて治っていました。

この時ラダクリシュナ氏と家族をサイババがどのような言葉で送り出したかはわかりませんが、サイババがこうして不治の病から帰依者を救たエピソードは無数にあり、ある帰依者の腹部に出来ていた巨大な腫瘍を取り除いて不治の病から救った時は、感謝の気持ちを述べる帰依者に対してサイババ様はこう言葉をかけています。

「私に感謝する必要はない。あなたを救ったのは私ではない。あなたの信仰があなたを救ったのだ」

 

 

これから紹介するのは、その時、SSO(サティヤ サイ オーガニゼーション)というサイババ様の世界組織の評議会長をしておられたアメリカ人帰依者マイケル ゴールドスティン医学博士の体験談です。

まずこの物語を読む前に、マイケル ゴールドスティン医学博士が、帰依者としてはSSOの会長という要職にあるだけでなく、プライベートではアメリカの医師会の要職にあるという極めて多忙な方だということを念頭に置いておいて下さい。

その物語が起こったのは、1986年9月のことです。
その時ゴールドスティン博士は、奥さんと一緒にプラシャンティニラヤムから帰国しようとしていました。

三日前、ゴールドスティン博士はサイババに呼ばれこう言葉をかけられていました。

「心は鍵で、ハートは錠前です。もしあなたが心という鍵を外側に(俗世の方に)回せば、欲望と絶望が無限に続く混沌を経験することになるでしょう。あなたが心という鍵を内側に(神の方に)回せば、無執着と平安を体験することになるでしょう」
そしてサイババはヴィブーティを物質化して、それを紙に包み「これをいつも、身につけて持っておきなさい」と仰いました。

翌日、サイババはゴールドスティン博士に
「いつ出発するのか?」 とお尋ねになり、ゴールドスティン博士が「明日です」と答えると、サイババは 「だめだ! 出発を一日遅らせなさい!」と仰いました。

こうした場合、どんな事情を抱えていたとしても、サイババの言葉に従うべきであることを、私たちは他の多くの帰依者談や自身の体験を通じて知っています。

そうしなかった場合何が起こるかを、私たちは知識や過去の体験としては嫌というほど知っています。
しかし、だからと言ってそれが再び自分の問題となった時、何の躊躇もなくすべてのスケジュールをキャンセルしてサイババの助言に従えるかといえば、そうではありません。

なぜならそれは、それ以外の単なる日常会話の一つとして語られる言葉の延長上にある言葉であり『なぜそうしなければならないか?』 については何も語られず『万難を排して私の言葉に従うべきである!』というプレッシャーも一切かけられないからです。

しかし、その助言に従うか従わないかは、その人が自覚できていない、自分がどこまで「サイババを神の化身と信じているのか」という問題の答えを浮き彫りにするための、サイババが与える試験であることが多いのです。

 

私たちはこうしたサイババの試験の中で、自分たちがいかにうわべだけの偽物の帰依者であるかを教えられます。


公私にわたって多忙なスケジュールに縛られているゴールドスティン博士にとって、一日帰国を遅らせるということは、想像できないほど大変なことだったのだと思います。
しかし、そうであっても、側近中の側近であるゴールドスティン博士は、こういう場合、サイババの助言に従うべきであるということは身に染みて知っていました。そのことは、その直後にゴールドステイン博士がやったことが教えています。


その時ゴールドスティン博士がどうしたかというと、プラシャンティニラヤムからの出発を一日遅らせたのです。

しかし、翌日ボンベイで開かれていた会議への参加を取りやめて、より重要なスケジュールの待っている本国への帰国そのものは変更せず、予約していた飛行機に乗ってアメリカへ旅立ったのです。


つまり「私はババの助言にはちゃんと従いました」という巧妙な逃げ道を作っただけで、本質的な部分ではサイババの指示には従わなかったのです。

サイババはもちろんそんなことはすべてお見通しです。

しかしそのことについては何も言わず、プラシャンティニラヤムを旅立つ日、サイババはアシュラムから自身の大学の講堂まで車で移動するとき、わざわざ待っていて、ゴールドスティン博士を途中まで隣の席に乗せてくださいました。

その時ゴールドスティン博士は、ババの隣に同乗させていただいたことから来る至福に浸っていました。
するとそこでサイババが、非常に厳しい、恐ろしいくらいの真剣な表情になってゴールドスティン博士の方を見ながら、こう仰ったのです。

ゴールドスティン、これが私と一緒にいる最後のチャンスだ」

ゴールドスティン博士はショックを受けてパニックになり 「スワミは私に、御降誕祭のために11月に再び来てもよいと仰ったではありませんか。どうしてそんなことをおっしゃるのですか?」 と泣きを入れます。

サイババは、そんなゴールドスティン博士を無視するように、しばらくの間よその方を見た後、静かにゴールドスティン博士の方を向き直り、厳かに 「そうだ、君は帰ってくる」 と仰いました。

ゴールドスティン博士は、その時のことを考えるのがあまりにも苦痛だったため、そのことを考えないようにし、飛行機に乗るころにはほとんど忘れてました。

ボンベイ空港を飛び立った飛行機が、中継地のパキスタンのカラチ空港に到着した時、ゴールドスティン博士は一番前の席で眠っていました。そして、突然機内で起こった人々の悲鳴や大きな物音で目が覚めました。

博士が寝ぼけ眼で物音のした機内後方を振り返ると、そこには、一人の男に後ろから首に腕を回された状態で頭にピストルを突き付けられているスチュワーデスと、その横でもう一人の男に自動小銃を突き付けられている奥さんの姿がありました。

博士は、自分の見たものが信じられず、悪い夢でも見ているのだろうと思い、もう一度眠って目覚めれば、また以前の幸せな世界に戻れるだろうと思い、そのままもう一度座席で眠ろうとしました。
しかし、男に自動小銃を突き付けて「両手を上げろ。飛行機の後方へ移動しろ!」と命じられ、博士はそれが現実であることを知らされます。

ハイジャッカーは全部で4人でした。
二人が自動小銃を持ち、一人はピストルを持ち、残りの一人は手に手榴弾を持ち、体には爆発物を巻き付けていました。
ゴールドスティン博士と奥さんはその後、その極限状態の恐怖が支配する機内に、17時間にわたって閉じ込められることになりました。

テロリストの一人は、乗客のパスポートをチェックし始めました。
それを見たゴールドスティン博士、彼らが標的とすべきユダヤ人を探しているのだとすぐに理解しました。実際は、そうではなくアメリカ人を皆殺しにしようとしてアメリカ国籍の人間を探していたのですが、ユダヤ人でありアメリカ人であるゴールドスティン博士にとっては同じことでした。

ゴールドスティン博士はそうした状況の中で、サイババから「常に持っているように」と言われて持っていたヴィブーティを少し奥さんにもわけ、自分も飲みながら恐怖に耐えていました。

その時、博士の脳裏に蘇ってきたのは 「心は鍵であって、(霊的な)ハートは錠前です。もしあなたが心という鍵を外側に、世俗の方に回せば、欲望と絶望が無限に続く混沌を経験することになるでしょう。あなたが心という鍵を内側に、神の方に回せば、無執着と平安を体験することになるでしょう」 というサイババの言葉でした。

博士はその言葉を何時間もかけて黙想しているうちに、次第に恐怖に支配された状態から解き放たれていくのを感じていました。

博士は、主サイババの御言葉を沈思黙考しながら、サイババに何度も 「主よこの悲劇を何とかしてください。ハイジャッカーたちのハートを愛と平安で満たして下さい。私の妻と、この飛行機に乗り合わせた他の善良な人々をお守りください。もし私が死ぬ運命にあるにのなら、自分のなすべきことを忠実かつ、効果的に行って、最期の瞬間まであなたのことを思いながら、名誉ある死を迎えることができますよう、勇気と力をお与え下さい」と祈っていました。
その祈りの中でゴールドスティン博士は無執着状態になっていきました。
自分自身の心に沸き起こる恐怖に支配されるのではなく、その目撃者になったのです。

恐怖は依然としてあったものの、恐れに支配されている心身から離れたところで、博士は目撃者として自分自身を見ていました。

17時間が経過し、突然機内の電灯がすべて消え、ハイジャッカーたちによる乗員乗客への無差別発砲が始まった時も、心や体は、恐怖に支配されていましたが、それを客観的に眺めているもう一人の自分は全く落ち着いていて、冷静に対処することができたといいます。

スチュワーデス達と同乗者達は勇敢で、彼らはずっと落ち着いていて、勇気を保ち続けていました。
テロリストたちは、マシンガンを乱射し、手りゅう弾を爆発させ、罪なき老若男女の多くを無差別に殺し、傷つけましたが、ゴールドスティン夫妻は無傷のまま助かりました。

ゴールドスティン博士は2010年に神戸で行ったスピーチでその時のことをこう話しておられます。

「その時の私は平静さを失わずにいたので、適切な行動を取ることができました。
そして、自分自身と自分の妻を助けることができたのです。他の人も助けることができました。
心と体の次元では、ずっと恐れが続いていたのですが、それは神から与えられた心と体という機械が自動的に行っているプログラムのようなものでした。
そして、【見ている】私自身は、恐れとは全く関係なく、自分が恐れている様子を見守ることができたのです。
・・・私たちの人生のあらゆる局面で、これと同じことが起こります。
心と体は、恐れや怒りなどの様々なものに左右されますが、本当の【私自身】に目が向くと、そういったものを、ただ『見ている』状態に到達します。
そしてそこには平安が存在するのです」


自宅に戻ってからゴールドスティン博士は 「私たちは、バガヴァンの御指示通りに、ボンベイ発の飛行機を一日遅らせるべきだったのだ。私たちはそうせずに、プラシャンティニラヤム発の飛行機を一日遅らせただけだった」 と反省したと仰っています。

御降誕祭に参加するために再びプラシャンティニラヤムを訪れたゴールドスティン博士は、テロリストの銃弾から守ってくださったことに対して、サイババに謝意を表明しました。
そんなゴールドティン博士にサイババは、こう仰ったとのことです。

「あなたが御降誕祭に来る機会を与えてほしいと祈った時、私は飛行機の中でテロリストたちに殺されるあなたの姿を見ていました。しかし私は、あなたの祈りに応えて、あなたの運命を変え、あなたを救ったのです」


ゴールドスティン博士は、この時の出来事の中で、より深くサイババに帰依し、身を委ねることを覚え、肉体や心からなる見せかけの自己に内在する、照覧者である真の自己(アートマ)を体験したと仰っていました。

この話からもお分かりいただけるように、 神の恩寵というのは、祝福という形よりも試練という形を取ってもたらされます。

サイババ御自身もそう仰っています。
そしてそうしたことは私自身も、自らの体験の中で何度も実感しています。
(いずれ書いてみようと思っていることでもあります)


 

サイババは言われます。 (注釈・以下の言葉は、出典を見失っているため、サイババの語られた言葉そのものではなく、私の記憶に中に『サイババの教え』として蓄積されていたものからの抜粋です。その旨お含みおきの上お読みください)

 

「あなたが神の帰依者となる道を選んだのであれば、例え過酷な試練にさらされていると感じるような境遇に陥ったとしても、身の不幸を嘆いたり、未来を案じてひるんだりするのではなく、その試練は、神があなたのために用意した最善の出来事だと信じ、ゆるぎない神への信仰心を持って果敢に立ち向かいなさい。

実際それは、神があなたに課した試練ではなく、あなたをより高い地位へと引き上げるために与えた、祝福であり、恩寵であり、昇級試験なのです。

あなたの身に起こることは何であれ、あなたが過去世になしたことが時を経て実を結んだ結果です。
あなたの未来にどのような出来事が待っていたとしても、その原因を作ったのはあなたであり、神ではありません。

どれほど良いことが起こったとしても、悪いことが起こったとしても、その原因はあなたであり、神ではありません。
すべてはカルマの法則の中で、あなたが作り出した運命なのです。

…とはいうものの、神が望むのはあなたの幸せだけです。
たとえあなたが、どれほどの悪人であったとしても、罪人であったとしても、神に、あなたを罰そうという思いも、裁こうそうという思いもありません。

神にあるのは、あなたの救済だけです。
ただの救済ではなく、永遠の救済です。

あなたが身を亡ぼす時、それはあなたのカルマによってです。
神はあなたを救うため、時には厳しい手段を取るかもしれません。

あなたが、重大な病に侵されてながらもそれに気づかずに逃げ回っているとき、神はあなたを捕え、力ずくで手術台に縛りつけ、病巣を切り取ることもあります。

それは、あなたを救済するためです。

神は、あなたが原因となって作りだされたすべての出来事を、あなたが知ることのできない神の領域において、あなたを救うための恩寵に変えて救います。

あなた方が《試練》と呼ぶものもその一つです。
あなた方の目には《過酷な試練》と映ることも、神の目から見れば、あなた方を救うための試験です。
その試験は、あなたの信仰心を試すものです。

神を信じ、神そのものであるあなたの《真実の自己》を信じ、ゆるぎない神への信愛によって、試験にパスしなさい。
神があなたが傷つくことを望んだり、あなたが苦しんだりすることを望んだりすることはありません。

神が望むのは、あなたの幸だけです。
実際、その世界であなたが経験していることは何であれが、あなたにとって最善の出来事です。

しかしあなたはそれを知らないまま生きています。
それが、あなた方の最大の不幸なのです。

人が、救済されるために必要なことはただ、神を信じることだけです。
神そのものである、あなた自身を信じることだけなのです。

神を信じるということは、肉体という衣を纏った永遠不滅のアートマ(真実の自己)である自分を信じるということです』


サイババの御言葉
『障害が何であっても、旅路がどれほど長くても、決して努力を怠ってはなりません。
あなたがゴールに近づくよりもさらに速いペースで、
(神の恩寵によって)ゴールはより近くなるでしょう。

あなたが救われたがっていればいるほど、神はあなたを救いたがっています。
神は愛です』

(Sathiya  Sai Spieaks  VoL・Ⅴ C43 P223より抜粋)
 

今回の記事は以上です。

 

私が出版している以下の電子書籍もよろしく。

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みんな幸せになりますように。

サイラム<(_ _)>