今回の記事は「サイババにはサイババを批判する人たちによって告発され、国連(特にユネスコ)を動かすほどの問題となった黒い噂(詳細は後述します)や、欧米のマスコミが批判記事を掲載したりBBCが特集を組んで報道したことなどによって世界を揺るがすことになったスキャンダル(詳細は後述します)がある」ということについてです。

 

私はこれまで、この件について一切触れてきませんでした。

 

それがなぜかと言うと、これらのスキャンダルはすでに解決している問題であり、この問題に触れることは、サイババを貶めたい人たちの策にはまるだけのような気がしていたからです。

 

…とはいうものの、このままこの件について一切語らずスルーし続けることも、こうしたスキャンダルの存在というものは、今後も世界のどこかで誰かが何らかの形で蒸し返しては消え、消えては蒸し返すということを繰り返していくはずのものなので賢明な判断とも言い切れないため、この機会に紹介しておくことにした次第です。

 

 

なお、このスキャンダルについては、Wikipediaの『サティヤ・サイ・ババ』という項目に、信頼できるソースを示された記事として詳しく述べられ、その内容が私の知っている情報とも概ね一致しているので、それを一部引用しながら書き進めていくことにします。

 

 

このスキャンダルの内容は「サイ・ババの物質化は手品であり、青少年に性的虐待をしている。サイ・ババの病院では臓器売買が行われている」というものです。

そのことをマスコミや国連(特にユネスコ)告発したのはイギリス・ウェールズのピアニストのデヴィット・ベイリーで、その情報源となっていたのは、自身を性的虐待の被害者と主張し、後に性的虐待に対する金銭賠償をサティヤ・サイ・ババ・ソサエティに求める訴状をカリフォルニア州高等裁判所(County of Orange USA)に提出したアラヤ・ラーム(Alaya Rahm)でした。

 

 

Wikipedia『サティヤ・サイ・ババ』の項目の冒頭には 「(これらによって)1990年代末から2000年にかけてサイ・ババに対する批判が高まった」とありますが、私の実感から言えば、この件が欧米を中心とする多くのマスコミによって取り上げられ、さらにはドキュメント映画としても公開されたことなどによって世界を揺るがせていたのは1999年後半から2001年初頭までのことで、2001年中盤頃にはすでに「何の証拠もなく、組織的に捏造された事件、告発者の精神的疾患が生み出した妄想や虚言」という認識に変わりながらほぼ収束していたような感じがします。

 

Wikipediaには『インドでも、これら一連の海外での批判を一部のマスコミが報道したため、内容を見た人々が批判に加わった』とありますが、インドの4大紙Times of india,The indian Express,The Hindu,The Statesmanは批判報道を一切しておらず、この時期のインドに何度も足を運んでいる私も、このときのインドにサイババへの批判が広がっていたと感じさせるようなものは何も見ていませんし、体験してもいません。

 

しかしこの時期、インド以外の世界(特に欧米)で批判が高まっていたことは確かです。私はそのことを、プッタパルティにあるサイババのアシュラムにおいて開催された「世界価値教育会議」で体験しています。

 

その会議で何が起こったかというと、2000年25日から29日までの間、サティヤサイ教育機関と共にこの会議の開催準備をしていたユネスコが突然この会議への出席を取りやめ、9月15日、ユネスコの公式サイトに『サイ・ババ教育会議への参加撤回についての公式見解』を発表したのです。

 

なぜユネスコが突然この会議への出席を取りやめたかというと、デヴィット・ベイリーたちが「サイババとその組織には秘かに隠蔽されている醜悪なスキャンダルがある」ことを国連に通報したからです。

 

 

Wikipediaにはこの件が

『1990年代末から2000年にかけてサイ・ババに対する批判が高まった(サイ・ババ叩き)。

インド国外では、バサヴァ・プレマナンドやイギリス・ウェールズのピアニストのデヴィット・ベイリーらが、「サイ・ババの物質化は手品であり、青少年に性的虐待をしている。サイ・ババの病院では臓器売買が行われている」と主張した。また、サイ・ババの住居で4人の男性の殺害事件が起こったとされていること(ブログ主注釈・プッタパルティのアシュラム内にあるサイババの居住区に複数のテロリストがサイババを殺害するために侵入し、そこに居合わせた複数の帰依者たちが銃撃された)も、批判の的になった。2000年には、これらをもとにヨーロッパのマスコミがスキャンダル記事を掲載。イギリスのBBCは特集番組を放送し、さまざまな波紋を生んだ。欧米諸国、特に北欧とオランダではデンマークの映画 "Seduced by Sai Baba" の公開以降、信奉者が減少した。

インドでも、これら一連の海外での批判を一部のマスコミが報道したため、内容を見た人々が批判に加わったが、インドの4大紙Times of India,The Indian Expuess,The Hindu,The Statesmanは批判報道はしなかった。

デヴィット・ベイリーらは、サイ・ババに関する批判をユネスコに通報、ユネスコはこれらを受けて、2000年9月に予定されていたサティヤ・サイ教育機関主催の「世界価値教育会議」への出席を急遽取りやめ、9月15日、ユネスコの公式サイトに会議欠席に関して『サイ・ババ教育会議への参加撤回についての公式見解』を発表した。』

と記されています。

 

ここにある …サティヤサイ教育機関主催の「世界価値教育会議」への出席を急遽取りやめ… という部分を見ると、まるでこの「世界教育会議」はサティヤサイ教育機関の主催したものであり、ユネスコはそれに賛同する形で参加を予定していたような印象を与えますが、実は違っていて、元々この会議(全世界の教育関係者を一堂に集めサイババが提唱する人間の価値教育をテーマとした国際教育会議)の開催は国連事務総長の方からサイババに直に依頼されたもので、その依頼に対してサイババは二度ほど固辞したにもかかわらず、しかし「そこを何とか…」とさらに懇願されたため「それならば」と開催に向けて動いていたものだったのです。

 

にもかかわらず、直前になって、デヴィット・ベイリーらの一方的な告発を受け、何の調査らしい調査もしないまま、風評の世界的広がりを恐れる形で一方的に、しかも直前になってキャンセルしてきたのです。

 

 

これに対してサイババ関係者は激怒しました。

なぜなら、その告発は事件としては何の証拠も提出できていない、ただ一方的な主張に過ぎなかったからです。

 

にもかかわらず、その告発によってユネスコがこの会議への出席を一方的に取りやめるという行為は、サイババの関係者からしたら明らかな背信行為だったからです。

 

サイババはこの時、国連やユネスコに対して抗議しようとしていた帰依者たちに向かって「誰もこういった虚偽の申し立てを恐れる必要はありません。どうして自分の犯していない過ちを恐れなければならないのですか? ダルマ(正義)を守っていれば、ダルマが守ってくれます。真実は必ず勝利します。この件について反応する必要はありません」と静観するように進言されました。

 

またこうも言っておられました。

 

「あなた方は『私たちは普通の人間ですから、自分が崇めている方を悪く言われたら、どうしてそれに黙って耐えていることが出来るでしょうか?』と言うかもしれません。

誰かが書留であなたを怒らせる内容の書かれた手紙をあなた宛てに出したとします。あなたがサインをして手紙を受け取れば、あなたはその手紙の内容を知り、不愉快な思いをしなければならなくなります。しかし、あなたがサインをしなければ、その手紙は差出人に送り返さ、あなたを不愉快にしようとした相手の目論見は果たされなくなります。

それと同じで、誹謗中傷には耳を貸さないことです。

冷静さを保ち、関心を示さないでいなさい。そうすれば、その誹謗中傷や悪態のすべては、それを発した人に戻り、あなたには何の影響も及ぼすことはできません。

それは、こだま、反作用、反射となって、その相手を襲います。それはあなたを傷つける代わりに、その相手に跳ね返っていくだけです」

 

しかし、それでも多くの人は黙っていられませんでした。サイババの進言があったので、怒りを抑えつつ、できるだけ冷静に、できるだけ効果的に、礼節を持ってこの件に対応しました。

 

どう対応したかというと、インド前首相アタル・ビハーリー・ヴァージーペーイー(声明文発表当時は現職の首相)、P/Nバガワティ(元インド最高裁判所長官)、ランガナート・ミシュラ(元インド最高裁判所長官、インド人権委員会委員長)、ナジマ・ヘブトゥッラ(列国議会同盟委員長、UNDP(国連開発計画・人間開発大使)、ジヴラジ・V・パティル(インド国会議員、元衆議院議長、内務大臣)らは、サイ・ババは全く潔癖であり批判の内容は事実と反するという声明文を発表 Sathya Sai Organization Japan  し、インド政府ユネスコ常任代表ネーラム・D・サブハルワル大使はユネスコに公的な謝罪を要求 Sathya Sai Organization Japan したのです。

 

また、「サイババによる性的虐待被害者の一人として、自分の名前が知らないうちに使われていた」という教え子の相談を受けたG・ヴェーンカタラーマン博士UGC サー・C・V・ラマン賞、 INSAインディラ・ガンジー賞、インド国民栄誉賞を受賞した物理学者で、当時のシュリ・サティヤサイ大学副学長)は、サイ・ババに関するいくつかの風評を取り上げて、具体的に反論 Microsoft Word - GOD, AVATAR AND THE DOUBTING THOMAS.doc しました。

 

で、どうなったかというと、ユネスコは2004年2月5日、公式サイトから当該ページを削除し謝罪したのです(Sathya Sai Organization Japan)。

 

 

一方、自身がサイババによる性的虐待を受けたと主張し性的虐待による金銭賠償をサティヤ・サイ・ババ・ソサエティに求める訴状をカリフォルニア州高等裁判所(County of Orange USA)に提出していたていたアラヤ・ラームの裁判はまだ続いていました。

 

アラヤによる訴えがなぜインドではなくアメリカの裁判所に持ち込まれたかというと、インドの司法制度は法的に腐敗していて、裁判官はサティヤ サイ ババの帰依者かインドの政治家に操られているため公平な裁判は期待できないとデヴィット・ベイリーらがアラヤ・ラームに進言し、アメリカでの裁判をお膳立てをしたからです。

 

しかしこの裁判がアメリカに持ち込まれたことによって、それ以前は一切具体的な調査がされていなかった彼の主張が、アメリカの司法によって徹底的に調査されることになり、それによってアラヤの証言はつじつまが合わないことだらけであることが明らかにされるという、藪蛇の結果をもたらすことになりました。

 

このことが明らかになった結果、サイババから被害を受けたと証言していた人々のすべてが、宣誓供述書を携えてアラヤの裁判に参加することができたにもかかわらず、一人も法廷に姿を現さなかったのです。

そして、アラヤ・ラームは2006年4月19日に自ら訴訟を取り下げました。

この訴訟では和解の申し出はなく、訴訟の取り下げに対して金銭やその他の対価は支払われていません。

 

ユネスコがこの件について謝罪したのは2004年2月5日ですが、これ以前の2001年の時点で複数の国際機関がサイババの名誉を回復させるための行動に出ています。

 

その一つには、ノーベル賞選考機関が、サイババにノーベル平和賞を贈ろうとした事があります。

サイババはこれを辞退したため、ノーベル賞選考機関はサイババの奉仕団体にノーベル平和賞を贈ろうとしました。

しかし、サイババの奉仕団体も「サイババが辞退されている以上、我々が受けることはできません」とこれを辞退しました。

 

その結果、ノーベル賞選考機関ノルウェー・ノーベル・インスティトュート所長でありワールドスペース社(Worldspace)理事であるマイケル・ノーベル氏は、プラシャンティニラヤムを訪れ、世界中を放送対象地域とする24時間放送の衛星ラジオ局、サイ・グローバル・ハーモニーを寄贈しました。

初回放送は、2001年11月23日でした。

 

国連においてもまた、国連の機関であるハビタットが、2003年京都で開催された『水フォーラム』において、サティヤサイオーガニゼーションジャパンに、水フォーラムのテーマにあった演劇の公演を依頼し、その冒頭でサイババの人類への功績を紹介する映像を流しています。

ちなみに、この劇には私も出演しています。(^^)/~~

 

これは私の憶測の域を超えない話にはなりますが、おそらくこのときユネスコが「世界価値教育会議」への出席を急遽取りやめたのは、ユネスコの判断ではなく、国連事務総長の判断だったような気がします。

なぜそう思うかというと、この国際会議にはユネスコの事務総長であるリトアニア出身のレオナルド博士が出席されていて、その会議の中で「リトアニアが低い出生率に加え、高い自殺率という問題に直面しているうえに、28%の若者が麻薬中毒になっている現状を指摘し、まさにこうした状況こそがサイババの人間価値を重視した教育を必要としている」とスピーチされているからです。

 

様々な事情を抱えた中で開催されたこの国際教育会議には、78か国から大統領経験者や各大臣経験者、王族を含む650名の参加者があり、最終日には「プラシャンティ ニラヤム宣言」が採択され、ユネスコをはじめとする国連、その他の様々な国際的組織に提出されることになり無事、幕を閉じました。

私もこの会議には会場設営や、運営のボランティアとして参加していて、非常に多くの、霊的、物理的な両面での体験をしているので、次の記事で詳しくその体験について書いてみようと思っています。(ちなみに、この時はまだ、私はサティヤサイオーガニゼメンバーになるつもりもまったくありませんでした。私はその時、その会議がどのようなものであるかを何も知らないまま迷い込んでいた、ただの部外者でした)

 

 

アラヤ・ラームが裁判を起こしたアメリカでも時を経るとともにサイババへの評価は高まっていき、ミズリー州セントルイス市フランシスレイ市長が2005年9月11日を、アーカンソー州リトルロック市のジム・デイリー市長が2005年11月23日を、各市のサティヤサイババの日に制定しただけでなく、5つの普遍的人間的価値(真実・正しい行い・平安・愛・非暴力)を主体とするサイババの教育法は、カナダでブリティッシュコロンビア州、オンタリオ州ブランプトン市、アルバータ州ストラスコーナ・カウンティー市、オンタリオ州オーロラ町などの地方自治体がヒューマン・バリューの日を制定して、サイ・ババの教育法を推奨しています。

 

 

 

(私の頭の中にある)”サイババの教え”

        ↓

 

「神は唯一無二であり、宇宙の内と外のすべてに偏在している。

神が存在していない場所はなく、神に見放された人も、生物も、いない。

神には「これが神の名だ」と限定された名もなく、「これが神の姿だ」と限定された姿もない。

神はすべての名と、すべての姿を超越した存在であり、すべての名と姿は神から生まれたものである。

異なった宗教に示されている異なった神の名は、たった一つの太陽が、あるいはたった一つの同じ水が、世界各国に暮らす違った言語を話す人々によって全く違た名で呼ばれているように、唯一無二の神を、それぞれの宗教が異なった名で崇拝しているだけである」

 

「人がどれほど賢く、どれほど博識だったとしても、神を推し量ることはできない。なぜなら、神は、人の知性も、心も、五感も、超越した存在だからである。すべての人が持っている神についての考えと理解は憶測にしかすぎず、語る言葉のすべては、無知が生み出した妄想に過ぎない。神の実在は、知的な理解や思惟によってではなく、体験によってのみ知ることが出来るものである」

 

 

サイババの御言葉

 

「サイ オーガニゼーションの唯一の目的は、人に自らの内なる神聖を見出させ、自己への信念と神への信仰を取り戻させることです。

自分自身と神を信じることから得られる力は、絶えることがありません。

 

サイ オーガニゼーションの目的は、人々にもう一度この真実に気付かせ、その認識の中で生きるようにさせることです。

 

真理(神)は一つです。

その同じパラマートマ(大我)が、ラーマ、クリシュナ、キリスト、アッラーという異なる名前で呼ばれています。

これが、サティヤ サイ オーガニゼーションの根幹である基本原理です。

あらゆる宗教は一つであるということです」

(Seva Dal4 より抜粋)

 

今回の記事は以上です。

 

みんな幸せになりますように。

サイラム