今回は、人類の命運を握っているかもしれない、核エネルギーの話です。
核エネルギーとは、原子核を二つに分裂させたり、二つの原子核を一つに融合させたりすることによって取り出すことが出来るエネルギーのことです。
人類が発見している核エネルギーを最も簡単に取り出す方法は、中性子をウラン235に衝突させて原子核を二つに分裂させることです。
原子核を二つに分裂させることによって得られる核エネルギーを利用して作られた最初のテクノロジーは、原爆です。
私たちは唯一の被爆国の国民として、原子核を分裂させると膨大な核エネルギーが発生することは誰でも知っていますが、「それはなぜなのか?」「原子核を分裂させるとなぜ膨大なエネルギーが発生するのか?」という問いの答えを知っている人はほとんど存在しません。
その答えを知るためには、原子核の構造を知る必要があります。
原子と聞いたときほとんどの人が思い受けべるのは、多分こんな感じのものではないかと思います。
真ん中にあるのが原子核で、周りを廻っているのが電子です。
実際に原子がこのような形状をしているわけではありませんが、ここではとりあえずこのようなものとしてイメージしてください。
厳密に言えば、原子はいかなる客観的な形状も持っていません。
したがって、原子を表しているすべての絵は100%でたらめなものですが、なぜそんなでたらめなものをイメージする必要があるかというと、原子核の構造を説明したり、説明を受けたりするためには、必要なものだからです。
原子がどのような形状をしているかを伝えることの出来る概念もなければ、絵もなく、手段もないということについて、もう少し補足しておきます。
原子を構成しているものの中で最も研究が進んでいるのは《電子》です。
量子力学はその電子について、以下のような結論に至っています。
「観測も測定もされていない電子は、粒子や波などのいかなるものとしても実在しておらず、原子核の周りにある軌道全体に広がっている空間のどこかで測定されたときに一個の電子として観測される『確率の波(実在する波ではなく、形而上学的にしか取り扱えない抽象的な概念としての波)のようなものである」
それはつまり、厳密に言うと「電子は《実在》でない」ということです。
もし電子が粒子としての実体を持って実在していると仮定すると、いかなる仮説によっても、電子は一瞬で原子核の中に呑み込まれることになり、その仮説は破綻します。
電子は粒子として測定されるし、観測されるし、テクノロジーの中でも粒子として働いていることが確認されていますが、それは電子が測定や観測されていないときも粒子として実在していたからではなく、「測定も観測されていないときは実在でなかったにもかかわらず、測定や観測されることによって粒子という実在に遷移しているからである」というのが量子力学の電子モデルです。
しかもこのことは、電子だけに限ったことではなく、原子核や、他のすべての素粒子にも言えることなのです。
それはつまり「私たちの目の前に広がっている物質で作られた世界は(もっと厳密に言えば私たちの肉体も)、誰にも見られず、いかなる測定も観測もされていないときは、実在しない」ということです。
しかし、その実在しない世界は、私たちに見られることによって実在となっているのです。
これが、現代科学全般を相対性理論と共に支配している量子力学の原子論であり宇宙論であり実在論なのです。
…と説明してみましたが、これを読んだ皆さんには納得していただけているでしょうか。
恐らく、納得するどころか「はぁ? こいつ何言ってるんだ~"(-""-)"??」となっているのではないでしょうか。
もしそうだったとしても、何の問題もありません。
それは当然なことだからです。
何故ならこれは、量子物理学の業績でノーベル賞を受賞しているほとんどすべての物理学者が「(自分を含めて)真に理解しているものは誰もいない」と言っている量子力学の根幹にある原子論や宇宙論だからです。
量子力学を「私は完全に理解している」と言ったまともな物理学者は存在しません。
アインシュタインを含めた誰一人として「私は量子力学を理解している」と言った物理学者はいないのです。
しかし、その「誰も理解していない量子力学」を基礎理論として、私たちの社会に提供されているすべてのハイテクノロジーは生み出され、動かされてています。
量子力学は誰にも理解できないほど奇妙な理論ですが、「奇妙な理論である」という部分に目をつぶって利用すれば、それは魔法のようなテクノロジーを次から次へと生み出してくれるものなので、気にしないで「極微の世界の取扱説明書」として利用するのであれば、ただ役立つだけで、それ自体は社会に何の問題も生まないものになります。
しかし、一旦哲学的な部分に目を向けたならば、そうはいかなくなります。
なぜなら、その時量子力学は単なる物理理論から、「宇宙とは何なのか?」「私たちとは何なのか?」「宇宙が存在するということには何の意味があるのか?」「宇宙に我々が生み落とされて、生きて、死んでいくことには何の意味があるのか?」「神は実在するのか、それとも実在しないのか?」という形而上学的な命題と物理学者を直接対峙させるものに姿を変えてしまうものだからです。
こうした量子力学の問題の一つを、最もインパクトのある思考実験で明確化して世に示したものが、エルヴィン・シュレーディンガーによる「シュレーディンガーの猫」です。
「シュレーディンガーの猫」の中の猫は、誰にも見られていないときは《死んでいる猫》としても《生きている猫》としても存在できず、《死んでいる猫と生きている猫が半々に重なり合ったもの(言い換えるなら、実在する猫ではなく、抽象的な世界の猫》になっていて、その猫は、誰かに見られた時に生きている猫か死んでいる猫のいずれかとして実在となります。
この帰結は、シュレーディンガーの業績である波動関数や波動方程式によって導き出されたものです。
※なお、この記事は量子力学についてではなく、核エネルギーについて解説するものなので、これ以上の量子力学に言及することはやめて先に進みますが、量子力学や「シュレーディンガーの猫」についてもう少し詳しく知りたい方がいるのであれば、それらについては以下の電子書籍に詳しく書いているので、ご参照いただければ幸です。 ↓
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核エネルギーの話に戻ります。
上の図の中央にある赤●と黄●の塊が原子核で、赤●は陽子、黄●は中性子です。
原爆は、この原子核に中性子を高速でぶつけて、原子核を二つに分裂させることによって得られる(解放される)膨大なエネルギーを利用した破壊兵器(爆弾)です。
人類がこれまで核エネルギーを取り出すために利用してきた原子には、ウラン235やプルトニウム239などがあります。
ここでは、ウラン235に焦点を当てて話を進めていきます。
自然界に存在しているウランには他にもウラン234とウラン238の同位体がありますが、中性子をぶつけて核分裂させることが出来るのはウラン235だけです。
ウラン235に中性子をぶつけると原子核に中性子が取り込まれますが、ウラン234に中性子をぶつけてもウラン235になるだけだし、ウラン238に中性子をぶつけてもやはり核分裂しません。
唯一、ウラン235の原子核だけが、ぶつけられた中性子を一個取り込んだことが原因となって不安定になり核分裂するのです。
ちなみに同位体とは、原子核の陽子の数が同じで、中性子の数が異なっているもののことです。
235や238という数字は、原子の質量を表しています。
原子の質量を決めるのは、原子核を構成している陽子と中性子の数なので、同位体では数字が大きいほど、中性子の数が多いことになります。
原子核の中には陽子と中性子があって、陽子はプラスの電荷をもっていて、中性子は電荷をもっていません。
このことだけを見ると、原子核はプラスの電荷を持った陽子同士が反発しあって原子核となることはできないはずですが、現実には、非常に強い力でくっついて原子核を作っています。
何故そんなことが可能かというと、陽子や中性子を非常に強い力でくっつけている「核力」という力が働いているからです。
ウラン235に中性子をぶつけて、原子核を二つに分裂させると、平均で2個~3個の中性子が放出されます。
しかし、核エネルギーの正体は、放出される中性子ではありません。
原子核が二つに分裂したことによって放出されるエネルギーの正体は、核力です。
二つの原子核に分裂する前のウランの原子核は核力によって235個の陽子と中性子が一つに纏められていましたが、二つの原子核に分裂した後は、それ以前にこの二つの原子核を一つにまとめていた核力が余ってしまうことになります。
その余った核力がエネルギーとして放出されているのです。
これが、核を分裂させることによって得られる核エネルギーの主たるものです。

上の絵で示されているように、ウラン235に中性子をぶつけると、ぶつけた中性子が原子核に取り込まれてウラン236になり、そうして作られたウラン236の原子核は不安定になり自ら核分裂してクリプトン92とバリウム141になります。
そのとき原子核は分裂したことによって膨大なエネルギーを放出しますが、そのエネルギーの正体は、原子核が二つに分裂したことによって余ってしまった核力なのです。
その核エネルギーがどれほどのものなのかはアインシュタインの E = mc2
という公式が教えてくれます。
ウラン235の原子核を二つに分裂させると、新しくできた二つの原子核の質量を合計したものは、放出された中性子の分を加え陽子と中性子の数を同じにしても元の原子核の質量より小さくなっています。
これが何を意味しているかというと、アインシュタインの E = mc2という公式は、質量とエネルギーは等価であるということを示しているものなので、減った質量の分だけエネルギーとして放出されたことを意味しているのです。
原爆は作るのが比較的簡単なため、今では世界中に、人類を何回も滅ぼせるほどの数が配備されていると言われています。
原爆と同じようにウランやプルトニウムの原子核を中性子で分裂させることでエネルギーを取り出しているテクノロジ―には原子力発電があり、これまた、解決できていない核廃棄物の問題や、将来起こる懸念があるメルトダウンなどの重大事故によって人類を滅ぼしかねない危険性を持っています。
こう考えると、核エネルギーは人類を滅ぼす危険性しか持っていない負の遺産ように見えますが、核エネルギーにはもう一つ、核分裂とは真逆の、原子核同士を融合させることによって取り出すことの出来る核エネルギーというものがあって、この核エネルギーは今、後50年もすれば枯渇すると考えられている石油などの天然資源に変わって人類を救うことの出来る可能性を持ったエネルギーとして、最も注目されているものでもあるのです。
核融合によってとりだされたエネルギーがどのようにして人類を救うと期待されているかというと、核融合発電によって電気を生み出すことによってです。
なぜなら、核融合によって取り出せるエネルギーは、核分裂によって取り出せるエネルギーと比べても桁違いに大きいにもかかわらず、放射性廃棄物はほとんど出さないし、メルトダウンなどの重大事故の可能性もほぼ「ない!」と言い切れるテクノロジーだからです。
核融合発電の特筆すべき点は、原料の心配がないうえに、それが構造上、「原発のような重大事故は起こし得ない」と考えられているテクノロジーだということです。
問題はただ一つ、その実用化が桁外れに難しいということだけです。
しかしその問題も、少しずつですが、実用化が夢物語ではないところまでクリアされつつあるようなのです。
次の記事では、今のところは暗雲漂うだけにしか見えない人類の未来に、そうしたポジティブな夢のひとかけらを見せてくれるテクノロジーである核融合発電について解説します。
今回の記事は以上です。
みんな幸せになりますように。
サイラム<(_ _)>
