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今回の記事は、量子力学の思考実験で最も有名な”シュレーディンガーの猫” についての解説です。

 

”シュレーディンガーの猫”は、《光量子仮説》によって量子力学の基礎を築いたアインシュタインと《波動力学》によって量子力学の基礎を築いたシュレーディンガーの二人が、《量子の法則の原子構造への適用や相補性の原理》などの業績によって量子力学の構築を主導したボーア、その門下で量子力学を《行列力学と不確定性原理》の業績で支えたハイゼンベルク、同じくボーアの門下で量子力学に《排他原理》の業績を築き、多くのノーベル賞物理学者からは「純粋に科学的な観点から言えば、彼の偉大さはアインシュタイン以上だったかもしれない」と一目置かれ「彼からの批判は神罰に等しい」と恐れられていた桁外れの天才物理学者ヴォルフガング・パウリたちとの量子力学論争に敗れ、それによってボーアたちの量子力学に対する解釈(コペンハーゲン解釈)が標準理論と認知され始めたことに危機感を覚えたアインシュタインやシュレーディンガーが「ボーアたちの量子力学(厳密に言えば”コペンハーゲン解釈”)は不完全であり今はまだ、これを受け入れることには誰もが慎重であるべきだ」と表明し、もしボーアたちの量子力学に対する解釈が正しいのであれば「原子や宇宙というものがどれほど奇妙なものになってしまうか…」を『人間によって作られた悪魔的な装置の中に閉じ込められたまま、死を待っている一匹の猫』というシチュエーションの下で展開していく思考実験で可視化して発表したものです。

 

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シュレーディンガーの猫の話は有名ですが、その誕生にアインシュタインが深くかかわっていたことはほとんど知られていません。

 

以下に紹介するのは、アインシュタインがシュレーディンガーに送った手紙に書かれていた”シュレーディンガーの猫”の元になった思考実験です。
 
この話は、翌年中に自然に爆発する不安定な火薬が詰められた樽を主役とした思考実験ですが、なぜその話をアインシュタインがシュレーディンガーに送ったかというと、その話の最も重要なカギを握っているものがシュレーディンガーの波動関数だからです。
 


「翌年中に自然に爆発する不安定な火薬が詰められた樽があったとしよう…」
アインシュタインの話は、そう始まっていました。
 そしてこう続いていました。
 
「はじめ波動関数は、爆発していない樽という、はっきりとした状態を記述している。しかし1年後、その波動関数は『まだ爆発していない系』と、『すでに爆発した系』とが混合した状態を記述していることになる。(シュレーディンガーの猫でいうところの、この生きている猫と死んでいる猫が半々の確率で重なり合っている状態です)しかし、すでに爆発した状態と、まだ爆発していない状態の中間というものは現実には存在しないのだから、この波動関数が現実に起こっていることを適切に記述していることにはならない」シュレーディンガーが、《シュレーディンガーの猫》を4ページの論文に纏めて発表したのは、この手紙を受け取った三か月後です。 
 
しかしアインシュタインはこのとき、自分がそんな話をシュレーディンガーに宛てた手紙に書いていたことなどすっかり忘れていて、”シュレーディンガーの猫”の論文を読んだ時は、単純に感心して褒めていました。

 

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”シュレーディンガーの猫”という思考実験に登場するのは、一匹の猫と、非常に少量であるため一時間以内に一個の原子が崩壊するかもしれない、しかしまた、半々の確率で一個も崩壊しないかもしれない放射性物質を入れたガイガー計数管と、原子が崩壊したときガイガー計数管の中の真空管が放電することによって動き出すハンマーと、ハンマーによって割られるシアン化合物の入った小さなフラスコと、それらすべてを外から見えないように閉じ込めた鋼鉄製の箱の五つです。
 
この思考実験の解説を読むにあたって皆さんが知っておかなければならないことは、この実験装置を一時間放置したとき、ガイガー計数管の中に入れられている放射性物質の中の一個の原子が崩壊している確率は50パーセントで、放射性元素の中の最初の一個の原子がいつ崩壊するかは誰にも予測できない偶然が決定するということです。
 
シュレーディンガーやアインシュタインがこの思考実験を通してボーアたち(コペンハーゲン学派の物理学者)に突き付けたのは「量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、ちょうど一時間が経過したとき、箱の中の猫はこのような状態→※(=^・^=)※←になっていることになるのだが、それでもあなた方は自分たちの量子力学に対する解釈がを正しいと言うつもりなのか?」ということです。

 

以下に、《このような状態→※(=^・^=)※》というのが、どのような状態かについて詳しく説明していきますが、その前に、その答えを導き出すものが波動関数なので、波動関数について少し説明しておきます。
 
波動関数(Ψ←これが波動関数をあらわすギリシャ文字で、日本語読みはプサイとなります)が何であるかは、誰にも …それを発見したシュレーディンガーにも… わかっていません。
ただ、それを組み込んだシュレーディンガー方程式を使えば、粒子の状態や物理系の振る舞いを、時刻の変化から求めることが出来ることだけがわかっているのです。
 
したがって、”シュレーディンガーの猫”という思考実験を通してシュレーディンガーやアインシュタインが突き付けている問題の解も、波動関数やシュレーディンガー方程式を通して導き出せることになり、今のところこれ以外で導き出すことはでません。

 
常識的に考えれば、一時間が経過した時、箱の中の放射性物質が崩壊している確率は半々なので「一時間が経過したとき、箱の中の猫はどうなっているのか?」という問いの答えは、「半々の確率で、生きているか、死んでいるかのどちらかだ」ということになります。
それ以外の可能性は、私たちが現実として見て、体験して、知っている世界には存在しません。
 
これが正解なら話は簡単なのですが、量子力学(厳密に言えば、量子力学のコペンハーゲン解釈)ではそうならないのです。
 
なぜかと言うと、波動関数が計算するのは、この箱の中の猫が誰にも見られておらず、いかなる観測も測定もされないまま1時間経過したとき、“生きている猫”と“死んでいる猫”のどちらの状態になっているのかの確率だからです。


…と解説してみましたが、この時点で、私が伝えようとしていることの意味を正確に理解できている人はたぶん存在しないと思います。

なぜならその理解は、量子力学をあるレベルまで哲学的・形而上学的に理解している人の理知の中にしか存在しないからです。
 
常識的に思い浮かべることの出来る「半々の確率で死んでいるか、生きている猫」というものは、「半々の確率で100%生きている猫か、半々の確率で100%死んでいる猫のどちらか…」です。

しかし、量子力学においてはそうはならず、波動関数が計算する「猫が死んだ状態で見つかる確率と、生きた状態で見つかるかの確率」というものは、それが半々(50%)となったのであれば「50%死んだ猫と、50%生きている猫が合わさって100%となっている猫」になるのです。
 
つまり、そこには、100%生きている猫も、100%死んでいる猫も存在しないことになるのです。
もっとわかりやすい言葉に言い換えるなら「この世のどこにも猫は実在していない」ことになるのです。
私たちが生きている現実の世界には、100%生きている猫か100%死んでいる猫のどちらかしか存在しないからです。
 
しかし《シュレーディンガーの猫》の猫は違います。
この思考実験の猫の状態を量子力学で記述しようとすると、その状態は確率でしか計算できないため、誰にも見られていない箱の中の猫が死んでいる確率と、生きている確率は、100%死んでいる猫と、100%生きている猫が、半々の確率で存在しているのではなく、50%死んでいる猫と、50%生きている猫が合わさって、100%の確率で存在していることになるのです。

 
そうなってくると、箱の中に閉じ込められているときの猫は、「生きているか死んでいるかのどちらかとして独立して存在していることはできず、生きている猫と死んでいる猫が50%ずつ重なり合って存在していることになってしまう」のです。
 
常識的に言えば、そんな奇妙な状態の猫が存在している世界など考えられません。
このことをたてにしてアインシュタインとシュレーディンガーは、「量子力学(のコペンハーゲン解釈)は何かが間違っている」と主張したのです。
 
通常の仮説であれば、こうした仮説が提唱されたとき、正しいのか間違っているかは、実験物理学者と言われる人たちの実験によって検証されることになります。

量子力学には、誰にも理解できないような奇妙な原子モデルや宇宙モデルや理論や仮説が多数ありますが、そのすべてが支持されているのは、それらのすべてによって予言されていた現象が、実際におこっている自然現象と矛盾していないことが実験によって確かめられているからです。
 
したがって、《シュレーディンガーの猫》の猫が、そのような状態に実際になっているかどうかも、実験によって検証すればいいだけのような気がするかもしれませんが、シュレーディンガーの猫という思考実験が導き出している猫の状態は、その思考実験の性質上、いかなる実験によっても検証できないのです。
 
この思考実験が求めている答えは「一時間が経過したとき、箱の中の猫がどうなっているか」ということなので、普通に考えれば、ただ箱を開けて中の猫を見ればわかることのような気がします。
 
しかし、それでは駄目なのです。
 
なぜなら、この思考実験が求めている答えは「一時間が経過したときの猫がどのような状態でいるのか」ではなく、一時間が経過したときの「まだ誰にも見られていない箱の中の猫がどのような状態でいるのか」だからです。
 
言い換えるならば「いかなる観測も測定もされていないときの猫はどのような状態でいるのか?」が問われているのです。
しかし、誰も見ていない、観測も測定もされていない猫がどうなっているかを知る方法は存在しません。
そのため、この問いの答えを実験によって知ることは原理的に不可能で、唯一出来ることがあるとすれば、思考実験を理論的に読み解いていくことだけなのです。
 
その結果が、誰もが知っている「生きている猫と死んでいる猫が重なり合った状態になっていて、見られた瞬間に生きている猫か死んだ猫のどちらかとして実在となり、実在となれなかったもう一方の状態の猫は消滅する」というものになっているのです。
 
しかしこの解釈は、この思考実験を案出したシュレーディンガーやアインシュタインがそうだったように、誰にとっても受け入れられないものです。

 

そのため、発表された当時から現在に至るまで、多くの物理学者によって、それに代わる原子論や宇宙論が模索され、19世紀のSFやファンタジーを起源に持つようなパラレルワールド的宇宙論が提唱されては消えていきました。

 

それらの宇宙論は今でもネットの中に、さも最新の宇宙論であるかのように装われて紹介されていたりしますが、ほとんどは物理的根拠を持たない似非科学宇宙論です。
 
そんな宇宙論の中で唯一、秘かに《シュレーディンガーの猫》の量子力学解釈にとってかわることが出来る宇宙論かもしれないと期待されてきたものがあります。

 

その宇宙論は、アインシュタインが亡くなった二年後、プリンストン大学修士課程の学生だったヒュー・エヴェレットが、「量子力学の基礎」と題した博士論文の中に書いていたもので《多世界解釈》と呼ばれているものです。
 
エヴェレットはこの論文の中で、量子実験の結果として起こり得ることはすべて、現実の世界で実際に起こっていることとして扱えることを示しました。
 
これがどういうことかを”シュレーディンガーの猫”を例にとって説明すると、コペンハーゲン解釈では、誰も見ていない箱の中の猫は「生きている自分と死んでいる自分を重ね合わせた、確率としてしか記述できない状態」で存在していることになりますが、《多世界解釈》では、一匹の猫が生きている自分と死んでいる自分を重ね合わせた確率となっているのではなく、生きている猫と、死んでいる猫がいる二つの世界が重なり合っていることになるのです。


そして、誰かが箱の中を覗いたとき、その重なり合っていた世界は二つに分裂し、生きている猫か死んでいる猫のどちらかが私たちの見ている世界で実在となって、もう一つの猫はまったく別の世界で実在になっていることになるのです。
 
しかしこれは、コペンハーゲン解釈以上に受け入れがたい仮説です。
 
なぜなら、エヴェレットの多世界解釈が正しいと仮定すると、この宇宙に存在するもののすべてに、…例えば私たち自身にも、すべての星にも、すべての銀河にも、絶えず量子的転位が生まれ、それによって世界は無限のコピーに分裂し、そのコピーがさらに無限のコピーを作り続けていくという、まったく収拾がつかないカオスなものになるからです。
 
したがってこの量子力学解釈は、…確かに、未だにこれを支持している物理学者が一定数いることは事実ですが…、かつてこの宇宙論を最も強く支持していたジョン・ホイーラー(エヴェレットの指導教授であり、ワームホールの命名やブラックホールを広く定着させた著名な物理学者)が「正直あの理論とは、残念ながら手を切らざるを得なかった。確かに、初めは熱心に支持したけれど、今はあの形而上学的内容は過激だと思っている」と述べているように、ほとんどの物理学者たちによって捨てられつつあるものです。
 
多世界解釈は1937年、ホイーラーの添え書きを付けて発表されたものです。しかし、無数のパラレルワールドが存在している可能性を示す彼の多世界解釈に対する物理学者の反応は冷淡で、誰にも評価されませんでした。


エヴェレットはそれに落胆して大学を去り、米国国防総省で戦略計画にゲーム理論を応用する仕事に就き、51歳の若さでこの世を去っています。そんな彼の宇宙論が、注目され始めたのは彼の死後です。
 
誰にも評価されなかったホイーラーの多世界解釈が20年以上経った後になって急に注目されたわけは、それが、量子力学のコペンハーゲン解釈が導き出している、誰も理解できない奇妙な原子モデルや宇宙モデルを否定して、誰もが受け入れられる常識的な原子モデルや宇宙モデルに変えることが出来る可能性を持つ、唯一の量子力学解釈だからです。
 
コペンハーゲン解釈によれば「観測も測定もされていないこの宇宙のすべては、実在でない」ことになります。
そして、実在でないものを実在にするのは、誰かが見たとき、観測したとき、測定したときの偶然だということになります。
 
アインシュタインはこうした考えを受け入れることが出来ず「神はサイコロ遊びをしない」という言葉でボーアたちを批判したのです。
 
アインシュタインがこの言葉を最初に使ったのは、1926年にマックス・ボルンに宛てた手紙の中です。この言葉自体は、アインシュタインが手紙に書いていた全体的な内容を要約したもので、より原文に忠実な翻訳文言は、「客観的存在の世界には全面的な法則が存在するのですが、私は大胆に推測することによってその法則性を捕まえたいと思っています …中略…(しかし) 量子論が初期において大きな成功を収めたからといって、基本的なところで神がサイコロ遊びをしているなどと認めるわけにはいかないのです」「量子力学は確かに立派な理論です。しかし私の内なる声が、まだ本物ではないと告げています。その理論は多くを語りますが、私たちを『神』の秘密に近づけてはくれません」というものです。
 
そんなアインシュタインに対して、ボーアもまた「神が何をなすべきか、何をなさざるべきかを、あなたが語ることなかれ」と、神を持ち出して反論しています。

このように、アインシュタインとボーアの双方が、自身の物理学者としての主張の正当性の担保を神にゆだねて相手に反論しているのですが、このことは、アインシュタインとボーアが共に、そうすることに抵抗がないほど固く神を信じていたことを教えていることになります。
 
しかし、アインシュタインとボーアが持っていた「神とはこういうもののはずだ」というイメージは大きく異なっていました。
 
その違いを出来る限り簡潔に紹介すると、アインシュタインの神に対するイメージは「もし神がいるとするならば、神も、神がつくったこの宇宙も、物理学の自然に対する研究を通して必ず理解できるもののはずだ」というもので、一方のボーアのイメージは「神も、神が作ったこの宇宙も、人類に理解出来るのは神が許している部分までであって、理解できない部分があったとしても、それはどうしようもないものとして謙虚に受け入れるしかないことだ」というものでした。
 
そうした神や宇宙に対する考えの違いが、そのまま量子力学を通して描き出される原子や宇宙に対する反応の違いとなって現れ、二人を「史上最も激しい…」と形容される量子力学論争へと駆り立てていったのです。
 
ボーア以外に神を持ち出してアインシュタインに反論した物理学者は他にもいて、例えば、「純粋に科学的な観点から言えば、その偉大さはアインシュタイン以上だったかもしれない」とマックス・ボルンが述べているヴォルフガング・パウリもまた、アインシュタインが人生最後の25年をかけて追及した統一場理論(一般相対性理論と電磁気学を統一する理論)に対して「神が引き離したものを、何人たりとも再び結び付けてはなりません」と神を持ち出して批判しています。
 
また、量子力学論争最大の討論が繰り広げられた第五回ソルヴェイ会議では、白熱した会議場に飛び交う参加者たちのドイツ語、フランス語、英語の声で収拾がつかなくなったとき、エーレンフェストが静かに立ち上がって壇上に上がり、黒板に「主はここに、全地の言葉を混乱させた」という聖書にあるバベルの塔の一節を書いて、その場の興奮を軽い笑いで和ませたというエピソードも残っています。
 
こうしたことからわかるように、量子を研究し大きな業績を築いた理論物理学者の多くが「神とは何なのか?」「それは実在しているのか?」「実在していないのか?」という問題と驚くほど真摯に向き合い、最終的には、ルイ・パストゥールが残している「科学の道を少し進むと神から離れるが、さらに究めれば、これに回帰する」という言葉を身をもって証明するようなところに辿り着いています。
 
しかしそれはある種の人々にとっては“不都合な真実”なので、広く一般的の人々には知らされていません。

しかしそれが本当のことかどうかは「量子力学ほど、それにかかわった物理学者に《神》という言葉を使って論争させたものはない」という事実や、「量子力学や原子核物理学にかかわった物理学者の多くが、ヒンドゥー教の聖典ヴェーダやヴェーダーンタ、仏教哲学・東洋哲学に傾倒している」という事実が教えています。

 
アインシュタインがシュレーディンガーに「翌年中に自然に爆発する不安定な火薬の詰が詰められた樽」の話を描いた手紙を送っていなければ”シュレーディンガーの猫”が生まれることはなかったことになるのですが、一つ疑問となるのは、アインシュタインの樽の話とシュレーディンガーの猫の話はいったい何が違うのかということです。

 

ちょっと目には、両者の言っていることはほとんど同じことのように見えます。
しかし、実を言うと、非常に大きな違いがあるのです。

 

その違いを一言でいうと、この思考実験の根幹となる波動関数を、アインシュタインは「火薬を詰められた樽」というマクロな存在に適用しているのに対して、シュレーディンガーは「放射性物質が起こす原子崩壊」というミクロの対象に適用しているということです。
 
この違いは、量子力学における思考実験としては、決定的に大きなものとなります。
 
なぜなら、量子力学の数学的な基礎である波動関数に従うものは電子や原子や素粒子といったミクロな対象だけだからです。
にもかかわらず、それを直接マクロの物質や現象に適用したアインシュタインの思考実験では、アインシュタインの言わんとしていることは理解されたとしても、否定しようとする人間から見れば、簡単に論駁できる弱点を持つものです。

しかし、猫の生死を決めるものを、放射性物質という量子力学に従うミクロの対象に設定している”シュレーディンガーの猫”は違います。

 

”シュレーディンガーの猫”によって導き出されている帰結は、誰にとっても、反論できないものになっています。
 
アインシュタインは、マクロの世界に属する樽(言い換えるなら量子力学には従わずニュートン力学に従う樽)に、量子力学の波動関数を直接適用して量子力学を「完全な理論ではない」と批判していますが、その樽は元々量子力学には従わないマクロな世界の物体であるため、「それはあくまで、あなたの考えた思考実験の世界だけの話であって、量子力学の世界の話でも、現実の世界の話でもない」と反論できますが、放射性物質という量子力学に従うミクロの対象によって猫の生死が決まる”シュレーディンガーの猫”が導き出している帰結は、誰にも否定できないものになっているのです。

 
量子力学の実験は、物理実験であれ思考実験であれ、すべて、マクロの観測装置や測定装置でミクロの対象を測定や観測するものです。
 
そうなると問題になってくることがあります。
 
それは、目に見えるマクロの観測装置や測定装置はニュートン力学などの古典物理学の法則に従うのに、測定する対象はすべて量子力学という全く違った法則に従うということです。
 
そしてもう一つ、ミクロの世界と、マクロの世界を分けている境界線も発見できていないという問題もあります。
 
目に見えるマクロな物体はすべて、目に見えないミクロな粒子の集合体のはずなのに、なぜ全く違う法則に従うのか、量子力学に従うミクロな対象と、量子力学には従わず古典物理学に従うマクロな物体の属する世界の境目がどこにあるのかがまったくわかっていないのです。
 
「目に見える物質となっているマクロな存在と、目に見えない量子化しているミクロの存在が属している世界を分けている物理学の線は、どこにあるのか」
 
こう問うアインシュタインに対して、ボーア、何一つ明確な答えを示せませんでした。
 
《シュレーディンガーの猫》は、こうした問題を抱えている量子力学の思考実験でありながら、どこにも明らかな瑕疵が見出せない、洗練されたものになっています。
それは、この思考実験で猫の生死を決めるものが、放射性物質という量子力学に従うミクロの対象であり、その中の一個の原子がいつ崩壊して猫を殺すかを記述するものは、量子力学の数学的基礎であるシュレーディンガーの波動関数だからです。
 
波動関数は、この思考実験の猫の状態を、《生きている猫》と《死んでいる猫》が半々に混じり合ったもの、もしくはその二つの状態を平均したものとして表します。
そして、波動関数が量子力学の基礎である以上、それは量子力学によって導き出された猫の状態だということになります。
 
しかし現実の世界に、《生きている猫》と《死んでいる猫》を平均化した状態の猫というものは存在しません。だからアインシュタインとシュレーディンガーは「量子力学には矛盾があり、それゆえ不完全である」と批判したのです。
その批判をボーアたちは最後まで論駁できませんでした。
今もなお、誰にも論駁できていません。
 
しかし、量子力学によって示されている原子論や宇宙論や実在論がどれほど奇妙なものだったとしても、物理学者はそれを否定できません。
 
なぜならそれは、実験と完全に一致する首尾一貫した理論であり、コンピューターの集積回路を完璧に支配する理論であり、私たちの社会に提供されているすべてのハイテク機器を生み出している科学技術の基礎理論であり、現代化学、生命科学、最先端の医療を支えている物理理論であり、コンピューターがコンピューターとして機能し、テレビがテレビとして機能し、ネットがネットとして機能し、原子炉が原子炉として機能し、社会が社会として滞りなく機能していることのすべてが、量子力学の物理理論としての正しさを担保しているからです。

 

          

 

今回の記事は以上です。

 

みんな幸せになりますように。

サイラム<(_ _)>