サイババの信者は世界中に少なくとも数千万人いると言われています。
一方で、サイババをペテン師だと信じて疑わない人たちもそれ以上います。
これを読んでいるあなたは、人をこの二種類に分けているものは何だと考えるでしょうか。
サイババを信じているということは、サイババが起こしていると言われている奇跡が本物だと信じていることを意味しています。
私たちは通常”奇跡”という言葉を、全く違う二つの意味を持たせて使い分けています。
一つは、それが「どれだけ稀にしか起きない驚くべき出来事であるか」を強調するための言葉として、そしてもう一つは、それが「人智や自然法則を超えた神秘の力によって起こされていると考える以外にない出来事である」と主張する言葉として…。
前者は日常生活の中で使われ、後者は主に宗教や信仰と結びついた会話の中で使われます。
そして、サイババの奇跡について語られるときのそれは、後者の「人智や自然法則を超えた力によって起こされている現象」を意味しています。
そう考えたとき、サイババの信者が数千万人もいるということは、信じがたい話になってきます。
なぜならそれは、科学者だけでなく、宗教の聖職者さえもが否定している”奇跡”という現象をサイババが起こしていると信じている人々が、この世の中に数千万人存在しているということだからです。
しかし、それはいったいなぜなのでしょう。
これほどまでに科学が発展した世界に、なぜそのような途方もないものの存在を信じる人が、サイババの周りには数千万人も存在するのでしょうか。
サイババの信者はただ単に 『頭がおかしいだけ』 なのでしょうか?
サイババを否定したい人たちにとってはそう嘲笑って終わりにすることが最も簡単なことですが、実際はそうもいきません。
なぜなら、そう嘲笑って終りにしたい人たちが誰であれ、サイババの信者には、そうした人たちと同等かそれ以上に、人格者で、常識も良識も学識もあり、政治、経済、医学、科学、哲学の世界で高い地位と名声を得ている人たちが大勢いるからです。
特にインドにおいては顕著で、高い地位や学識をもつ人々のサイババに対する評価の高さは、あらゆる人々の想像をはるかに超えています。
それを具体的に示すものには、毎年行われるサイババの誕生日を祝う降誕祭に来賓として列席した人々の記録や、2011年4月24日のサイババ逝去を知って弔問に訪れた人々の記録、インド政府がサイババの偉業を讃えるために発行した記念切手の存在(インド郵政省はババ様の偉業を讃える記念切手を2013年11月23日に発行し、インド通信情報技術省の閣内大臣がプラシャーンティ ニラヤムで開催されたババ様の88回目の御降誕祭でそれをお披露目しました)
インド政府が偉大なる精神的指導者であるサイババの功績とその教えを称え、サイババの生涯への深い敬意を込めて発行した100ルピー記念硬貨の存在などがあります。(インド国財務省は、2025年4月22日に、この記念硬貨に関する官報通達を発行しました)
手元に、2010年の降誕祭、およびそれにに伴う各行事に来賓として列席したインド政府要人の資料があるので、その一部を紹介します。
この年の降誕祭では、先立つ11月19日に『女性の日記念祭』が開催され、その主賓としてインド大統領プラティバ・パルティ女史がインド空軍の特別チャーター機でサティヤ サイ空港に降り立ち、アーンドラプラデーシュ州知事E・S・L・ナラシマン氏、パンジャーブ州知事シヴラジ パテル氏、アーンドラプラデーシュ州情報・広報大臣ギータ レッディ女史、インドを代表する大企業の一つであるアマルゲイションズグループの取締役兼タフェインディア社のCEOであるマリカ シュリーニヴァーサン女史と共に会場に姿を見せ、サイババの祝福を受けた後スピーチをしています。
翌日から降誕祭までの間には、サティヤ サイ大学の29回卒業式や関連行事が行われ、その席には、インド国首相マンモハン シン博士(注釈・この方は16歳でパンジャーブ大学に合格→20歳で経済学士取得→22歳経済修士取得→翌年ケンブリッジ大学に留学→翌々年に経済学部門で1位になり、その後オックスフォード大学に学びそこで1962年博士号を取得した人です)、アーンドラプラディシュ州首相K・ロザイア氏、カルナータカ州首相イェデュラッパ氏、パンジャーブ州知事シヴァラジ パティル氏、タルミナールドゥー州副首相M・K・スタリン氏、連邦電力大臣スシル クマル シンデ氏、タタグループ会長ラタン タタ氏、タタコンサルタンシー サービス(TSC)社CEO兼常務取締役N・チャンドラーシャーカラン氏らが臨席し、祝辞やスピーチをしています。
以下は、2011年4月24日 サイババ逝去の知らせを受けた後のインド国要人の動向です。
その日のうちに専用機でアシュラムを弔問したのは、アーンドラ プラデーシュ州知事と州首相でした。
サイババ逝去の知らせはすぐさま全インドの、主要政治家、宗教団体の代表に届けられ、サイババの葬儀を国葬として執り行うための協議と準備が進められています。
25日には、降誕祭の時とは比べ物にならないほど多くの政治家や著名人が弔問に訪れただけでなく、一般大衆も数十万人がやってきて、警備には数千人の警察官が配備され、この混雑は、すべてのプログラムが終わる13日後まで続きました。
26日には、インド国首相マンモハン シン、与党である国民会議派総裁ソニア ガンディー女史、外務大臣S・M・クリシュナ、情報放送大臣アンビカ ソニ、繊維大臣バナバカ ラクシュミー、元インド国首相デヴァ ゴウダ、グジャラート州首相(現インド国首相)ナレンドラ モディ、と言った人々が弔問に訪れ、27日には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、シク教の聖職者による祈が捧げられた後、21発の礼砲が撃たれ、サイババの棺にインド国旗がかけられ、国葬としてアシュラム内の墓所に埋葬されることで葬儀は終わりました。(なお、サイババの葬儀そのものはその後も5月6日まで続いています)
この葬儀にアシュラムの運営役員として臨席していた人には、元インド最高裁裁長官P・Nバグワティ氏、元インド監査委員会委員長S・Vギリ氏がいました。
棺の中のサイババに祈りをささげるインド国首相マンモンハン シン氏と
国民会議派総裁ソニア ガンディー女史 ↓
↓
祈りを捧げるグジャラート州知事ナレンドラ モディ(現インド首相)。
↓
埋葬されるサイババの棺に聖灰をかけるヒンドゥ教と仏教の僧侶たち。
↓
葬儀の様子をライブ配信している各州のテレビ局の車。 ↓
サイババは降誕祭の席で何度も人々を驚かせる発表をしていますが、中でも最も列席した国内外の要人、著名人を驚かせたのは1990年の降誕祭でのことです。
サイババはその時「私たちは病に苦しむ人々のために、カーストや肌の色、宗教、宗派、国籍、経済状態に関わらず、すべての患者が心臓切開手術や腎臓移植手術、脳外科手術などの高度専門医療を、受付から入院、リハビリ、食事に至るまですべて無料で受けられる病院をつくることを決めました」と宣言したのです。
しかもその病院が開業するのは、発表したその日から1年後であると。
以下はその時のサイババが語ったことの抜粋です。
「今日ここに、インド大統領、州首相、州知事を始めとする著名人たちが列席しています。(中略)…もし子供たちに正しい未来を保証するなら、国家は限りない恩恵を被るでしょう。すべての人に無料の教育と医療援助が与えられるべきです。このことを考慮して、私たちは昨日、ここに大きな病院を建てることを決めました。
多くの人たちは(こうした田舎にではなく)都心に病院を建てて欲しいと私に訴えてきました。
幾つかの都市では、ビジネスとしての多くの医療機関が運営されています。しかし、貧しい人々に無料で施設を提供するような事業を始めようとする人はほとんどいません。
ですから私たちは、プラシャンティ・ニラヤム(サイババのアシュラム)の近くに10億ルピーの病院を建てることに決めたのです。ここでは高等教育が無料であるように、高度医療も無料になります。
人々は、アメリカ合衆国で行われるような心臓外科手術を受けるために、何十万ルピーというお金を払っています。しかし、貧しい人々はどうですか? 誰が貧しい人々の面倒を見るのですか? 都会へ行ったとしても、貧しい人たちは色付きの水(偽薬)さえ手にすることはできません。
こうした現実を鑑みて、私たちは病院プロジェクトを立ち上げました。心臓外科手術であろうと、肝臓移植手術であろうと、脳外科手術であろうと、すべてが無料でおこなわれます。この病院は1991年11月22日に開院します。
これは『サイ・サンカルパ(サンカルパの直訳は、神の意志)です。(中略)
あなたがたは、50年間でこれほどまでに成長した組織(世界に広がっているサイババの奉仕団体)を見たことがありますか? (それによって)大学、大病院、飛行場をはじめとする多くの施設が、すべての人たちのために、特に村人のために建設されています。今後も多くのものが出来るでしょう。
多くの人々は、どうしてこういったことが可能なのだろうかと不思議に思っています。(中略)…この何十年という間、私はどんな時も、誰かに手を差し出して何かを求めたことなど一度もありません。これからもそのようなことは決して起こらないでしょう。(中略)
私はここへ来る途中、何人かの人たちから『ハッピー バースディ!』『ハッピー バースディ トゥー ユー!』と言って挨拶されました。私はいつもハッピーです。私にはそのような挨拶は必要ありません! そうしたものはハッピーでない人だけが必要とするものです。私はいつも至福で満たされています。私は今まで一度も、どんな時も、不安を抱いたことなどありません。
どうしてでしょうか?
私は、すべてのものが過ぎゆく雲のようにはかないものであることを知っています。ですから、それらを思い悩む必要などあるでしょうか? 誕生とか死とかいうものに有頂天になったり、落ち込んだりすべきではありません。
私たちは皆、裸でこの世にやって来ました。この世を去るとき、持っていけるものなど何もありません。(中略)
困難はすべて、神を瞑想することによって乗り越えることが出来ます。神を忘れて、世俗的な関心事にどっぷりつかりながら、あなたは何を成し遂げようとしているのですか?
神への揺るぎない信仰を持ちなさい! (この宇宙にある)すべての名前と姿は神のものです。あなたが目にするすべては、主が宇宙に表した姿です。神への揺るぎない信仰を持って、主の御名を唱え、あなたの人生を贖いなさい」
このプロジェクトの発表は、常識的に見れば、あまりにも無謀なものです。
なぜなら、その時点ではまだ、誰がこのプロジェクトのどの部門を担当するのかも決まっておらず、病院で働く医師や看護師の確保もされておらず、どんな医療機器をそろえればよいのかを知っている人もおらず、外国にしかない最新の医療機器をどのように手配すれば輸入できるのかを知っている人もおらず、それをどうやって病院へ運べばいいのかも分かっておらず、インドにそうした高度医療機器を使いこなせる医療従事者がどのくらいいるのかも把握されておらず、建設作業員の確保、病院全体の設計者、病室や手術室などの設計者の確保といった、病院建設に必要なものがまだ何一つとして決まっていなかったからです。
つまり、誰がどう考えても、一年後にサイババが発表したような高度医療病院を開業させることなど不可能なことにしか思えなかったのです。
当然、多くの人がサイババにそのことを訴えました。
しかし、そう訴える人々に向かってサイババは 「何も心配知ることはない。すべては私のサンカルパ(直訳すると神の意志)なのだから」と告げたのです。
「これはあなた方がなさなければならない仕事ではなく、私があなた方を通して成し遂げる仕事なのです。ですから、何も心配する必要はありません」
サイババはそう言ったのです。
これは、古くからサイババに仕えてきた人々にとっては、既視感のあるものでした。
これまでも、この時と全く同じように、サイババは、誰もが絶対に不可能だ、どんな奇跡が起きたとしてもそのようなことが現実となることはないと思うことを口にし、人々の心を不安でかき乱した後、それらのすべてが、終わってみれば何事もなかったかのように現実となっていたという体験を帰依者たちに数えきれないほどさせてきました。
サイババの身近に仕えてきたきた帰依者にはそうした体験の積み重ねがあるため、サイババがそう言っている以上、そのことについては何の心配もせずに、自分たちはサイババに与えられた仕事だけをやりながら一年後の開業をまつべきなのだということを、誰もが頭ではわかっていました。
いま自分の心を動揺させている不安や疑いは、自分の信仰心をサイババによって試されているだけのものなのだということを、誰もが頭ではわかっていたのです。
しかし、不安というものは頭ではなく心が生み出すものです。
頭は「心配すべきではない」と教えてきますが、心は「このまま誰も何もしないのであればでは、どんな奇跡が起きたとしても、一年後に病院が完成し、その後も医療を無料で人々に提供するなどというプロジェクトが成功することなどあり得ない」と不安をあおってくるのです。
この時点で多く人が最も心配したのは、このプロジェクトにかかるお金でした。自分たちの知る限り、組織のどこにもそのようなプロジェクトに使えるような大金はなかったのです。そして、すぐにでもそのプロジェクトを動かし始めなければならないのに、その資金をサイババがどうやって調達しようとしているのかについて、誰もわからなかったのです。
もし仮に病院を1年後に完成させるための資金は集められたとしても、その後の運営にかかる費用は、毎年莫大なものが発生することになります。
「スワミ(サイババのこと)は、そうしたことのすべてをわかっておられるのだろうか? わかっておられるのであれば、その経費をどうやって調達しようとされているのだろうか…」
人々の脳裏を駆け巡ったのはそのことです。
資金を調達する手段として、取り巻きの人たちが考えつくことの出来たことはたった一つしかありませんでした。
それは、世界中に何千万人といるはずの信者に寄付を募ることです。
しかしサイババは、今まで一度も、誰にも、金銭や物を求めたことはなく、今後もないと、降誕祭の席で言明し、それが真実であることを、サイババの側近たちは誰もが知っていました。
つまりサイババは、このまま何もせずに、世界中から誰かが自主的に寄付することを待っているだけで、具体的な金策は何一つしないということを知っていたのです。
そして、今までのすべてにおいてそうしたお金は、それが何故なのかは誰にもわからないまま、結果的にはどこからともなく集まってきていたのです。
しかし今回のプロジェクトは、そうした過去の場合とは、必要となるお金の桁が違ってくるです。
「今までがうまくいったからと言っても、今回のプロジェクトがうまくいくとは限らない…」
多くの人がそういう思いにとらわれました。。
そのため、サイババの言いつけに背いて、秘かに世界中の裕福な信者に働きかけて寄付を募ったり、寄付金の集まりが悪いことに絶望して、私財をなげうってこのプロジェクトのために寄付しようとした人たちも出てきました。
しかし、サイババはそうした人々が申し出る寄付金のすべてを「必要ない」と断ったのです。
たった一人の例外を除いて…。
このとき、ただ一人だけ、私財をなげうってこの病院の建設費のほぼすべてを提供することをサイババから許され、病院建設プロジェクト全体の責任者に指名されたのは、ハードロックカフェの創業者アイザック・タイグレット氏でした。
サイババは、1990年の降誕祭の席でこの病院プロジェクトの計画を公にするずっと以前に、取り巻きの何人かにはこの計画のことを話していました。そして、アイザック タイグレットは、この話をサイババから直接聞かされた最初の一人でした。
タイグレットは1989年、心の中から湧き上がってくる想いに促されて秘かに自分の事業を売却すると、販売額の半分をスイスの財団に移し、それをサイババが手がける奉仕プロジェクトに提供しようとサイババのアシュラムに足を運びました。
直接会う機会が与えられたとき、彼はサイババに「私が持っているものはすべて、あなたが私に下さったものです。私はそれを、何であれ、あなたが始めたいと思われるプロジェクトに使っていただきたいのです」と申し出ました。
タイグレットはこの時、自分の気前のいい申し出をサイババが喜んでくれる思っていました。
しかしサイババはそんなタイグレットを見てほほ笑むと「私が欲しいのはあなたのプレマ(エゴで汚されていない純真な愛)です。あなたのお金ではありません」と告げただけで立ち去っていかれました。
タイグレットは自分の申し出が拒否されたことにショックを受け、自分の何がいけなかったのかと内省しました。そして、自分の申し出には、謙虚な言葉とは裏腹な尊大なうぬぼれがあったことに気付き、再度、心から謙虚になって同じ願いを申し出ました。
そして、今度はサイババに受けいれてもらうことが出来ました。タイグレットは自分の申し出が受け入れられたことの大喜びしましたが、サイババからはその後予想だにしていなかったことを告げられ、ショックを受けます。
サイババは彼に「あなたは、このプロジェクトを遂行するために重要な役割を果たさなければなりません」と告げ、実質的な責任者となることを求めたのです。
タイグレットは余りに予想外な言葉に絶句し「スワミ、私は医者でもなければ、病院の経営者でもありません。私はただレストランの店主に過ぎません」と、その話を思いとどまってもらおうと懇願しています。
しかしサイババはそんなタイグレットに「あなたにはできます。すぐに始めなさい。まず計画を立てるのです。そこには最高の機関を加えなさい」と言って仕事に取りかかるように命じたのです。
そう言われたタイグレットはすぐに、このプロジェクトについて医療専門家と話し合うため、ジュネーブにある世界保健機構を訪ねました。そこに設けられた審査委員会には第三諸国から選ばれた12人の医師がいました。
そして、タイグレットの話を聞くと誰もが口を揃えてこう言ったのです。
「そのようなことがうまくいくわけがない。いったいどうやって健康や衛生の基本さえ教えることが出来ないような第三世界の遅れた地域に、高度専門病院を建てることなど出来ようか。仮に建物は完成させることができたとしても、その病院をまともに運営し機能させることなど不可能だ」
そのときのタイグレットは彼らの話を最後までおとなしく聞いていました。そして、彼らが話し終えた後、静かにこう言いました。
「あなた方が仰っていることはまことにもっともな話です。しかし、それでもひとつだけ考慮すべきことがあります。それは『この病院はシュリ・サティヤ・サイババによって建てられようとしている』ということです」
すると、メンバーの中にいた一人のインド人医師が驚いたように立ち上がってこう言ったのです。
「おぉ!サイババがそれを行うのですね。そんなことが出来る人がいるとすれば、それはサイババだけです」
他のメンバーはその言葉に唖然としましたが、驚きはすぐにサイババとはどのような人物なのかという興味に変わっていき、状況も変化していきました。
タイグレットが次に支援を求めたのは、世界でも最高の病院建設業者の一つである、アメリカ医療コーポレーションでした。
しかし、そこの担当者からは
「たとえあなたが資金のすべてを賄ったとしても、この手のプロジェクトには完成まで少なくとも4年から5年かかります。最終案と最終的な設計図を完成させるだけでも、最低半年はかかるでしょう」と言われて絶望します。
タイグレットは失意のままサイババのもとに帰り、一年後に病院を完成させることは不可能だと言われたことを報告しました。
しかし、そう告げるタイグレットにサイババはきっぱりとこう言ったのです。
「私は病院を1年以内に完成させたいと思っていますし、必ずそうなります」
そして、こう続けました。
「あなたの建築家が、英国で待っています!」
ババが言った建築家とは、宗教建築の分野においては世界でも第一人者と言われている、ロンドンにあるプリンス・オブ・ウェールズ建築学校の校長クリッチロウ氏でした。
タイグレットは、1990年11月の降誕祭の日にクリッチロウ氏をサイババのアシュラムに連れてきました。
その時サイババは「そうです。彼が病院の建設計画を担うことになる建築家です」と言って二人をインタビューに呼び、自分が思い描いている病院の構造について詳細に話して聞かせました。それを聞いたクリッチロウ氏は、病院の建物とプロジェクト全体のサイババのビジョンに魅せられ、誰よりもヒンドゥ教の厳格な祭祀に則った工程を重んじながら建設に着手していきました。
その結果どうなったかというと、翌年の11月22日午前、サイババの名前を冠した『シュリ・サティヤ サイ高度専門病院』は、サイババが宣言していた通り、インド国首相列席のもと完成式を執り行えたたのです。
そして、その日の午前中には、4件の心臓切開手術が行われ、いずれも成功し、今現在もインド最高の病院として無料ですべての治療を行い続けています。
出来上がった病院の全景がこれです。
その日以降、サイババの病院は無料で高度な医療を人々に提供し続けています。
なぜそんなことが可能かというと、サイババに帰依した世界中の優れた医師や看護師や医療技術者たちが、休暇を取って旅行やリゾート地に行く代わりにサイババの病院でボランティアとしてかわるがわる働き続けているからです。
それだけでなく、世界中から、サイババの病院で奉仕活動がしたいと望む人々が絶えることなく訪れ続け、運営資金も、どこからともなく、必要な分だけ集まってきているのです。
それが何故かを知る人はいません。
それが何故なのかを説明できる人もいません。
唯一つ言えることは、サイババの周りで起こることのほとんどは、誰にも理解できず、誰にも説明できないことばかりだということだけです。
この記事を読んでいる人の中に、タイグレットがなぜ私財をなげうち、膨大な苦労を背負い込んで、サイババの病院建設の責任者として働いたかを理解出来る人はいるでしょうか?
恐らくいないはずです。
おそらくそれを理解できるのは、サイババの帰依者として、種類は違うが本質的には同じ体験を共有している人だけです。
しかし、タイグレットがその仕事を成し遂げた報酬として何を得たのかを知ることが出来たならば、何かを感じ取ることができるかもしれません。
彼がその仕事を全うしたことで得たものは、エアコンも断水しないまともな水道もなく、一般社会にある娯楽の何一つもなく、肉や魚や卵を含んだいかなる料理もなくなく、酒も慣れ親しんだ飲み物も何もなく、3月から五月には45度をこえるような南インドの一角にあるサイババのアシュラムの中の質素なアパートの一室を割り当てられて、サイババに近しい帰依者の一人として住み続けることだけなのです。
そして、彼が望んでいたことも、ただそれだけなのです。
何故かというと、そこにはサイババがおられるからです。
世界中からサイババの病院にボランティアとして働くためにやってくる医師や医療技術者、看護師と言った人たちが、何をサイババの病院に求めてやってきているかは、そうした人たちが、サイババの病院で日々祈っていることを知ることによって推し測ることが出来ます。
ある医師は、こう祈っているのです。
「神様、私の生計が他の人々の病気によって成り立っているという有様は実に悲劇的です。ですが、同時に、私が人々の苦しみを和らげるという素晴らしい機会に恵まれ、私が抱くかもしれない一切の利己的な打算を贖う機会をあなたによって与えられたことは、私にとって幸運なことです。あなたは私の肩に大きな責務を負わせになりました。神様、どうか私に、この勤めを誠実の果たすことが出来るよう、力をお与え下さい。
どうか私が、患者を自分の腕を試すための対象として扱わないように、また、患者を研究のための実験動物と考えたり、単なる収入源として見ることがないようにしてください。患者の健康を取り戻したいという欲求だけが、私の唯一の動機となるようにしてください。患者の肉体的な苦しみと同時に、患者の気持ちにも気を配りながら、その苦しみに注意深く耳を傾けることが出来るような、思いやり、忍耐強さ、寛大な心を私にお授けください。
そしてさらに、私に、いかなる時においても揺らぐこと無いあなたへの信仰心を持たせてください。そして、真の偉大な癒し手はあなたであって、私はあなたの善意を流すための媒体に過ぎないということを、私が決して忘れることがないようにしてください」
サイババの奇跡を信じられるかどうかを分けるのは、結局のところ 『それを自分自身が経験しているかどうか』 だという気がします。
写真や神像から、ヴィブーティやアムリタや金粉などが出現したという話を、どんなに知性や理性が否定してきたとしても、それが実際に自分が持っている物から、ある日突然出現したとしたら、信じざるを得なくなってきます。
そして、自分の身にそれが起こった以上、他の人の同様の証言も 「嘘だ」 とは否定できなくなってきます。
そういう現象が起きたと証言することによって、その人の得るものが 「あいつはいつからあんなろくでもない嘘をつくようになったのだ」「頭でもおかしくなっているのか?!」 というようなマイナス評判以外『何一つない』となればなおさらです。
「サイババの奇跡」 といわれるものは、物質化現象だけではありません。
どちらかというとそうしたものは氷山の一角で、真の奇跡は、そうした現象の水面下に広がる精神世界の極めて深遠な領域で、想像を絶するほどに感情を揺り動かすリーラ(直訳すると、神聖な神の遊戯)として起こっているものです。
私は2000年5月に初めてサイババの帰依者や団体とは一度も接触したことのない一般の人間(旅行社の企画したツアー客)として南インドのホワイトフィールドにあるサイババのアシュラムに足を踏み入れたのを皮切りに、同年9月には、UNESUCOとサティア サイ協会(SSE)との合同で開催される予定になっていた合同国際会議の会場設営ボランティアとしてプッタパルティにあるサイババのアシュラムを訪れ、翌年5月には日本が主催することになっていたインド仏教徒最大の祭りであるブッダプールニマの会場設営ボランティアとして再びホワイトフィールドを訪問し(通常では宿泊できないアシュラム内で一週間ほど生活し)、その後サイババご存命中14回ほどサイセンターの役員としてサイババのアシュラムを訪れ、合計すれば230日ほどサイババ様のアシュラム内で生活したことがあります。
その頃のサイババのアシュラムには、常に10人以上の日本人が訪れていて、中には、アシュラムの外に部屋を借りて何年間もアシュラムに出入りしながら暮らしていた人たちもいました。
しかしそうした人たちに比べても、アシュラムの中で暮らしていた日数の合計は多分私の方が多いと思います。
なぜなら、サイババのアシュラムには、「一年に2カ月以上暮らすことはできない」という規則があったからです。
これは、世界中からサイババに引き寄せられてやって来る人々を出来る限り平等にアシュラムに受け入れるための規則であると同時に、そうした人たちを(特に若い人たちを)単なるスピリチュアルに救いを求める社会の落後者にはせず、一定期間癒し、導いた後は、よりよい社会人としての義務を果たすように、家族や国へと送り返すためのものです。
そのため、サイセンターの役員やアクティブワーカーのなかに、年に何回も自由にアシュラムに行きアシュラムの中で生活することの出来る人は(まともな社会人として生活している人であれば、お金はあってもそんな勝手気ままに使える時間は無いため)私が知る限り私以外には存在しませんでした。
なぜ私だけそんなことが出来たかというと、「社会のために働きなさい」というサイババ様の教えに反して、社会から隠遁するように瞑想主体の生活をしていて、何の仕事もしていなかったからです。
そのため私は、センターの中で非常に浮いた存在で、多くの批判の的でもありました。
センターには役員として四年、アクティブワーカーとして2年関わりましたが、その間プライベートな時間を共有したメンバーは一人もおらず(私が唯一心を許していたセンターのメンバーは一人いましたが、その彼は、私より若く、私より遥かに古参で、私よりも多くの批判の対象となっている人物でした。私はその人と常に口論していて、周りの人々には「なんであの二人はあんなに仲が悪いのだ」と思われていたようですが、それは誤解で、私が彼と常に口論していたのは、口論できるほど心を許していたのが彼だけだったというだけのことでした。彼は私が役員をしていた四年間、本当にいろんな場面で助けてくれました。今でも感謝しています。
私は客観的に見ても、非常に特殊なタイプの帰依者なのだと思います。
なぜそうおもうかというと、私は、どのような本の中にも伝え聞く話の中にも、自分と似た体験をしている人を知らないからです。
私は、『理性の揺らぎ』を読んでサイババの(自称)帰依者となってからサイババのアシュラムを訪問するまでの5年間、サイババの組織や帰依者の誰ともかかわらず、一人アパートの一室にこもって行う瞑想を通して自分の内面世界だけでサイババを追い求めていました。
そして、そのまま一生、サイババの組織や帰依者の誰ともかかわらず、サイババのアシュラムにも行かないつもりでした。
なぜかというと、 『自分には、サイババの帰依者を名乗る資格もなければ、教えを学ぶ資格も無く、ましてや、会いに行く資格などあろうはずがない』 と思っていたからです。
サイババを知って、瞑想主体の生活に入ってからの私は、5年間ほとんど誰とも会話らしい会話をしていません。
埼玉のアパートで一人暮らしをしていたので、生活していくための最低限の社会とのかかわりは持っていましたが、知人や友人との付き合いは完全に断っていて、一切何の連絡を取っていなかったし、いわゆる 『おしゃべり』 というものは、電話も含めて一切していません。
会話らしい会話は、二か月に一度散髪に行っていたので、その時はさすがに1時間以上常連となっている美容室のマスターを前にして黙り込むというわけにはいかず、その時していただけです。
そういう、誰とも会話しない生活がなぜ可能だったかというと、サイババを知って瞑想を始めた瞬間から 『孤独』 というものを一切感じなくなっていたからです。
私は、その瞬間から『孤独』というものがどういうものなのかを、全く理解できなくなっていました。
私には、自分がそれ以前の人生で、その『孤独』というものに 「気が狂いそうになるほど苦しめれれていた」 というかすかな記憶があります。
しかし、それがどのようなものだったのかを、一切思い出せなくなっているのです。
私はその後、アシュラムに行くようになり、サイババの組織ともかかわるようになり、そこの役員になってもいます。
しかしそのすべては、私が望んだことではありませんでした。
にもかかわらずなぜそうなったかというと「それがサイババのご意思だった」という以外に説明のしようがない出来によって結果的にそうなってしまった、という以外にないのです。
1976年オーティにおける夏季講習でのサイババの御講話。
↓
「どこにいようと、気づいたときは必ず自分の義務を行いなさい。
私は常にあなたの内にいて、一歩ずつ歩みを導いています。
この先何年にもわたって、私が様々な姿をとって現れるのをあなたは体験することになります。
あなたは私自身であり、私よりも愛おしい。
瞼が瞳を保護するように、私はあなたを護ります。
私はすでにあなたのものであり、あなたは私のものです。
私があなたを置いて立ち去ることはなく、あなたが私から立ち去ることはできません。
今この時から先、決して何も強く望んではなりません。
揺るぎない愛をもって義務を行い、すべてを『神』とみなしなさい。
忍耐強くありなさい。
やがてすべてが与えられます。
幸せでありなさい。
気に病むことは何もありません。
何を体験し、何が起きても、すべてはこのアヴァター(神の化身)が”聖なる意志”によってそうしたのだと知りなさい。
このアヴァターが現れたのは使命のためであり、この使命の実現を地上の何ものも、一瞬たりとも遅らせることは出来ません。
あなた方は皆、聖なる霊であり、来るべき『黄金時代』に繰り広げられる劇に出演する役を担っているのです」
みんな幸せになりますように。
サイラム<(_ _)>







