インドの預言書として有名なのは 『アガスティアの葉』 や 『ブリグの書』 です。
アガスティアもブリグも古代インドに実在したと信じられている聖仙で、彼らが残した預言はバイタラと呼ばれるヤシの葉の表皮をはがした芯の薄い板状の部分にサンスクリットを表記する文字デーヴァナーガリーで刻まれていて、その預言書を読み解く時が来るまで、それを受け継ぐべく選ばれた家系の人々によって保管されながら、数百年毎に新しいヤシの葉に写し取られることによって最低でも5000年以上を遡ると考えられている古代から現代へと受け継がれてきたものです。
『アガスティアの葉』 や 『ブリグの書』の預言のほとんどは、数千年を経た未来のどこかでこの預言書の存在を知り、自分について書かれている預言(前世の出来事、現世で起きている自分が知らない自分に関わること、今後の運命など)を読みに来る人のために書かれたものです。
したがって、それはインド人だけでなく他国の人々のものもあります。
当然日本人のものもあります。
アガスティアの葉に限って言うと私の知り合いも3~4人が読みに行って、自分の預言書が見つかています。
そうした人々の共通した感想は「自分について調べられることはほぼ完璧に当たっているけど、未来のことは当たらない」というものでした。
サイババはこれらの預言書について、以下のように述べています。
「そこに書かれていることは正しい。しかし、それを正確に読み解くことの出来る人間は(今の時代には)存在していない。正しくない情報を探し求めることに意味はない」
そうは言われても、そんな預言書があるのであれば、読んでみたいという誘惑に誰もが駆られると思います。
自分の未来に関する予言は外れていたとしても、もし預言書の中に自分について書かれたものがあったのであれば、それは、数千年も昔の古代インドに、今という時代に自分が生まれ、その預言書を読むためにインドに来ることを知っていた人間が存在していたということであり、それは人知を超えたとてつもなく神秘的な話になってくるからです。
私もそう考えて、アガスティアの葉にちょっとだけ興味を抱いていた時がありました。
しかし私はそれを読みに行ってはいません。
なぜかと言うと、それを読みに行ってみようかなと考えた時、夢にサイババが現れて「行かないほうが良い!」と一言だけ忠告して消えて行かれたからです。(#^.^#)/
(youtubeに「アガスティアの葉」で検索するとヒットする、それを読みに行った人たちの動画が多数あります)
アガスティア アガスティアの葉
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これらの預言書に何が書かれているかは、ある意味最もプライベートな情報なので、本人が読みに来たとき以外は誰にも公開されないように厳重に秘密が守られてきました。
しかし、近代になるとそうしたものの一部、それが何の預言書かわからない状態で埋もれていたものの一部が、占星学者によって研究されるようになっていました。
そうした預言書を研究していた人物の一人に、ガンジュール・ナーラヤナ・シャーストリーというバンガロールの高名な占星学教授がいました。
彼は偶然、そうした預言書を代々受け継いできた家の書庫の奥に山積みされていたヤシの葉の中から、数百枚にもおよぶ『聖仙シュカの預言書』 を発見しました。
ちなみにシュカとはインドで最も有名な叙事詩の一つである 『マハー バーラタ(クリシュナとして化身したビシュヌ神と人々の物語)』を世に残したとされるヴィヤーサ聖仙の息子で、その偉大な父よりもさらに偉大だったと言われている聖仙です。
シャーストリ師は、占星学者として、この難解な古代サンスクリット語で書かれた預言書の解読を試みます。
そして、その予言書はどうやらサイババというアヴァターの降臨について書かれたもののようだということを発見しました。
しかしシャーストリ師はこの時点ではまだサイババについてほとんど何も知りませんでした。
そこで、預言書の解読作業と並行して、サイババについても調べました。
シャーストリ師がその預言書を徹底的に調べ、それをサイババの情報とすり合わせてみた時、預言との完全な一致に驚愕します。
その時のシャーストリ師の驚愕について、息子であるサッチダーナンダ・ムルティ師は 「いつも冷静だった父が、この預言書を発見した時は、何日も興奮を隠しきれなかった」 と語っています。
シャーストリ師は、側近の人を介してこの資料をサイババに紹介し、サイババは彼に、その預言の詳細については公開を差し控えるように指導したと言われています。
しかしそうした話はすぐに噂となって広がり、彼を取材した人たちがそ預言の内容を本にしたため、その内容は広く知られることになりました。
この預言の内容は、日本サイババ研究会から出版されている 『大神格サイババ・アヴァター』(シャクンタラ・バルー著・渡辺英機訳)の中にも紹介されているようですが、ここでは、シャーストリ師の息子サッチダーナンダ・ムルティ師に直接会い、彼から直接その預言書の資料を渡された青山圭秀氏の本の中に書かれていたものを紹介することにします。
以下がそ預言書に書かれていたものです。
《・・・いずれ来る、カリユガの時代、悪は世界を四分の三まで支配する。
さらに四分の一の不正がはびこり、世界を覆いつくそうとするとき、神は地上に化身する。
アクシャーヤの年、カルッティカの月、クリシュナ・チャトゥルダシーの火曜日(注釈・サイババが実際に生まれた1926年11月23日)
アールードラー(第四)の星のもと、無限のシッディ(注釈・神通力)を持つこの人は生まれる。
彼はその前にシルディに化身する。
その時、地上の人々を苦しみから救うため、人々の祈りに応えてもう一度転生することを欲す》
《彼はリンガ信仰の地、ウラバコンダで学校に通う。
寛大で、同情心に富み、過ちに対しても怒りをあらわにしない。
聖賢たちは、この人が 『思いの時に死ぬ能力』 を持ち、ニルヴィカルパ・サマーディ(究極の法悦)の状態にあり、だだ、ダルマ(正義)を守るために生きていると宣言する。
彼は様々な姿で現れ、ダルシャン(拝謁)を与える。
困難と危険、そして重荷を取り去る。
彼の偏在を信者に示し、信者は彼に帰依することで罪を清め、平安を得ることができる。
彼はこの世への執着を一切持たず、物事をすべて意のままに行う。
その使命は、人々の救済であり、そのため、彼は適切な時、適切な方法で、必要なもののすべてを与える。
真理と正義、そして神の化身。
彼はサティア(真理の)・サイババと呼ばれるだろう》
《彼の恩寵で、人々は困難を克服し、重荷を退け、成長する。
短期間にその偉大さは知られ、世界がサティア・サイババを崇めるだろう。
彼は一か所にいても、同時に多くの場所に現れ、神聖な行為とその成就が見られる。
尊神サイババは、マハーヴィシュヌ・スワルーパ(至高神ヴィシュヌの化身)である。
彼は自然の法則を超えた癒しの力を持つ。
彼はその力を、この世界の人々のためだけではなく、より高い世界の生命体(天使や妖精)のためにも用いる(注釈・サイババはその御講話の中で、何度となく「この世の救済は、人間だけを救済してもなされない」 ことを語っておられます。そのためには、天界や霊界に14の段階として存在しているすべての世界の住人に対して救済が行われなければならず、人間の目に見えない所で自身がそのための活動をしていて、我々が見ているサイババとは、神の化身の氷山の一角に過ぎなということを理解するように忠告しておられます)。
病気や苦しみを自ら引き受けることもある(注釈・こうした話を聞くと「神なのだから、どんな病気でも治せばいいではないか」 という思いが浮かんだりしますが、この世界はカルマの法則と言う神が設定した法・秩序の上に成り立っているため、いくら神と言えども、その秩序を完全に無視して介入してしまうと、この世界物理的に維持運営している自然法則や霊的に維持運営しているカルマの法則といった秩序そのものが崩壊してしまうため、時にはそいうことも行うのだと仰っています)。
彼がアシュラムをつくり、霊性を教える教育機関を設立するや、そこにはおびただしい数の信者が集まるだろう。
彼に出来ないことはない。
彼が知らないこともない。
それは神に備わる力であり、訓練の結果ではない。
この化身は、頭で理解することはできない。
経験することができるだけだ。
研究することもできない。
味わうことができるだけだ。
単なる視線、交わされたたった一言の会話が人を清める。
それはヴィシュヌ神に会うことに等しい》
《すべての人はそのような清めを必要としている。
というのは、私たちがこの世に生まれてきたのは、過去世で数々の間違いをしたからである。
しかしこのような神性人格に触れると、その感化によって、欠点は自然になくなり、完全に消滅しさえもする》
《無神論は衰え始め、現代のマハープルシャ(至高の神人) の影響が明白なものとなる》
ここに紹介したサイババに関するシュカの預言は、シャーストリ師によって解読されたもののほんの一部であり、その翻訳は完了していません。
サンスクリットは、あらゆる言語の中で最も難解な言語と位置付けられているもので、シャーストリ師は全編の翻訳を試みましたが、結局それを果たせないままにその人生は幕を閉じています。
『サイババ 神の降臨』という本の中には、これとは別のヒンドゥー教の聖典や、イスラム教の開祖であるムハンマドが述べたとされる伝承書『光の海』13巻の中にも、サイババに゙関する予言と受け取れるような、興味深い記述があることが紹介されています。
以下は、『光の海』13巻の中にあると紹介されている、後の世に現われるであろう「偉大な教師」の印が書かれている部分の抜粋です。
《彼の髪は豊富だろう》
《彼は髭を生やしておらず、きれいに剃ってあるだろう (ここで注目すべきは、ムハンマドがイスラム教の開祖であるにもかかわらず、その人物を、イスラム教徒では基本的にタブーとされている髭を剃った人物として預言していることです)》
《彼の頬にはホクロが一つあるだろう (注釈・実際にサイババ様の頬にはそれと分かるホクロが一つあります)》
《その服は炎のようだろう (サイババ様のローブは炎に最も近いオレンジ色です)》
《彼は背が低いだろう
《彼の足は娘のように細いだろう》
《すべての宗教のすべての教えが誕生の時から彼の心にあるだろう》
《その世界の師は、その肉体から、口を通して物を出すだろう (注釈・サイババ様は、マハシヴァラトリの時に、宇宙を象徴するリンガムという卵大の物質を体内で形成して口から出されていました)》
《彼を見るすべての人の目は、幸せになるだろう》
《彼は二つのローブを着るだろう (サイババは、オレンジと白の二種類のローブを着ておられました)》
《彼は九五年か九六年生きるだろう (サイババは西洋暦でいうと八四歳で亡くなられましたが、インド暦・太陰暦で計算すると九六歳で亡くなったことになります)》
ヒンドゥ教の聖典『プラーナ』には、ビシュヌ神が過去に九回人類を救うためにインドに化身していて、最後の化身が、カリユガに化身するカルキ アヴァターであり、それがサイババであると信じられています。
過去の化身で最もインドの人々に人気が高いのが7番目の化身ラーマと8番目の化身クリシュナです。
そしてサイババ様は、ラーマもクリシュナも、自分が化身した過去の姿だったと仰っていてこの二人の化身についての、失われた真実を含む膨大な御講話を残しておられます。
プラーナの中にある、カルキ アヴァターについての記述は以下のようなものです。
《十番目の大アヴァター(カルキ)は、白馬にまたがって天上に現れる》
《そのアヴァターは血のように赤い服を纏い 『真理(サイとは真理を意味する言葉です)』 と言う名前を持っている》
《そのアヴァターは、権力の座にある人が腐敗した時、人類を救済するために、人類に奉仕する人として降臨する》
《純白の衣を着けた無慮無数の心正しい人々が彼に従い、彼は、地上の善き人々に平安と安全と喜びをもたらす》
サイババの御言葉
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『人は神を様々な方法で礼拝し、神への信仰を育てます。
しかし、神は名前も姿も持っていません。
神は一つ、ただ一つです。
にもかかわらず、人は神をラーマ、クリシュナ、アッラー、イエスなどと様々な名前で呼んでいます。
これらはすべて個人的な空想であり、神は特定の名前を持ってはいません。
神は唯一無二です。
一なる神が様々な名と姿で呼ばれ、崇められているのです。
神に与えられたそうした姿の数々は人間の想像の結果であり、絵画にも描かれています。
しかし、実際には誰も神を見たことはありません。
どのような姿で神を黙想しようとも、神はその姿で現れます。
神は一者であり、二者ではありません。
(中略)
神性は名と姿を超越しています。
遠い昔から、人はそうした超自然的な神性を求め、黙想し、礼拝し、奉仕し、思い焦がれてきました。
(中略)
他人を助けなさい。
決して傷つけてはいけません。
他人を傷つけず、その過程で自分も傷つけられないような方法で身を処する人は、祝福された人です。
皆さんは、教科書からは得られない、こうした技能を身につけなければなりません。
自分の思考に注意し、思考が邪道に陥らないようにしなさい。
一つの思考が心に湧き上がるたびに 「これは良いものか、悪いものか?」 と細かく検討しなさい。
もし悪いと感じるなら、それを存続させてはなりません。
ただ、やり過ごしなさい。
もし良い考えであれば、あなたも他人も恩恵を受け取れるように、それを実践しなさい。
(中略)
神は常にあなたと共に、あなたの上に、あなたの背後にいます。
神は、これからもいつもあなたを守ります。
そのことへの固い信心を育てなさい。
神の恩寵は、一時的なものではありません。
神は、これからも常にあなたと共にいます》
(208月29日29日 サイクルワントホール)
以下は、前回の記事で紹介した、ペルーで円心空手を教えていた弟に宛てた手紙(サイババのアシュラムを最初に訪れたときの体験記)の続きです。
『スワミのアシュラムを訪問していた我々の多くは、まるで遥かないにしえからそこで暮らしていたかのような奇妙な感覚にとらわれていた。
そして帰国した今はまるで夢の中の出来事だったかのような気がしている。
ホワイトフィールドのサイババのアシュラムに、華やかな場所、豪華なものは何一つない。そこにあるのは必要最低限のものだけ。(このアシュラムは、プッタパルティのアシュラムが40度を超える真夏(3月下旬~5月)の間だけ使われる規模の小さいアシュラムなのでかなり簡素なものになっています)
掃き掃除はすべて、ほうきの形をした草を束ねたものでなされ、門も中の建物も見栄え映えのしないものである。
トイレと言えば見たこともないような粗末なものであり、そのほとんどが壊れてさえいる。
その中で美しいものは、サイババの姿であり、帰依者の歌うバジャンだった。
ちなみに、アシュラムの中には、ベジタリアン(多分)の野良犬が何匹か住み着いていた。この犬たちは、一度も吠えなかった。
サイババの下に集まってくる人々は、正直言って玉石混合であり、最低の者から最高の者までいる。その配分の割合は、ほぼ俗世の社会と同じである。
そうした人々のすべてが、サイババに導かれてやってきたことに間違いはないが、そこに一万人の人々がいれば、一万通りの呼ばれた意味合いが存在している。
そして、すべての人々が悠久の時を超えた、輪廻転生という壮大なドラマの中で潜在的に身に着けてきた魂の資質の中で、無数の道へと振り分けられていく。
そこは神が化身して人々の間を歩き回っている聖地であるにも関わらず、つねづねサイババご自身が帰依者に向かって苦言を呈してこられたように、この世的な欲望や、奇跡や超自然的な力を求める人ばかりが目に付き、解脱やバクティや真理を求める人はほとんど見受けられなかった。
それでもなお、そこに世界中から集まってきた人達の全体の雰囲気は、秩序と、調和と、思いやりにあふれた素晴らしいものだった。
インドでのサイババの名声を物語るかのように、インドで我々がサイババのアシュラムに向かうツアーであると知られると、行きも帰りも、多くの空港職員に「グッド!」と声をかけられた。そして、税関では、荷物は(調べられるとかなり面倒になるプロ用のビデオ機材が中にあったにもかかわらず)一切調べられること無くフリーパスだった。
そして驚いたことに、成田の税関でも同じ扱いだった。後で分かったのだが、これは外務省や日本の正当な経済界の人たちが、サイババがどのような存在であるかを、現地に調査団を派遣して正しく認識していたからだった。
私はパスポートに、インドでもらったサイババの写真を挟んでいた。それを見た税関の人に「サイババのアシュラムに行かれたのですか?」と尋ねられた。私が「そうです」と答る「サイババのアシュラムはどうでした?」と尋ねられたので「素晴らしかったです」とこたえたら「やっぱり、素晴らしいんですか…」と何となく不思議そうな顔をしておられた。
ツアー客の中に気功をやっている同年輩の方がいたので「何故サイババのアシュラムを訪ねる気になったのですか」ときいてみたら、その理由が面白かったので、以下に記しておく。
この方の師匠(女性)はサイババを信じておらず「サイババはペテン師だ!」と常日頃から公言していた。ところがある日、気功を教えている女の子の手から突然灰のようなものが出てきた。「これは何なのだろう?」と困惑していると、偶然その場にサイババの信者の人がいて、「これは、ビブーティのようです」と言われた。
「ビブーティとは何なのか?」と尋ねると「それはサイババが物質化して帰依者に与える灰であり、多くの場合、帰依者たちの病を治す力を持っている」と説明された。その話を聞いた気功の師匠は、物は試しと考えてその信者から譲ってもらったビブーティを病に苦しんでいる(病名はさだかではないが確か腎臓結石だったと思う)自分の子供に飲ませてみた。すると数日後に、その子供が着ていたシャツの左右の胸ポケットに、誰も入れた覚えのない小さな軽石のようなものが一個ずつ入っているのが見つかり、それと同時に子供の病気も治っていた。
その人の周りではその後も、ビブーティにまつわる不思議な出来事を色々と経験するようになり、サイババが神の化身であるということはともかく、サイババが奇跡の力を持っているということに関してだけは信じるようになった。
そうして出来事を通してサイババに興味を持ったから今回サイババに会いに来たのだと言っていた…』
サイババの御講話
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「神の降臨は、聖者や賢者が熱心に祈っていたものです。
霊的求道者(サドゥー)たちが祈り、私は来ました。
私の主な仕事は、ヴェーダー(太古の聖賢、聖者たちが神から啓示を受けて世に残した聖典)の教えを育み、帰依者を育てることです。
あなたの美徳、自制心、無執着、信仰、確固たる意志・・・これらは、人々が私の栄光を量るための印です。
あなたは、エゴのかけらもなく完全に私に委ねた時、初めて私の帰依者であると言うことができます。
あなたはアヴァター(神の化身)が与える経験を通して、至福を味わうことができます。
アヴァターは人間がその存在を身近に感じることができるように、人間のようにして振舞いますが、時として超人的な一領域にまで駆け上がることがあります。
それは、人間がその領域にまで達したいと啓発され、その努力によってその領域に達することができるようにするためです。
あなたに内在する神があなたを動かしていることを悟らせることが神の務めであり、そのために、神は人の姿を取ってやってきたのです。
皆さんのこの世的な知性では、神へと至る方法を突き止めることはできません。
神は、単なる頭脳が生み出す賢さだけでは認識することは不可能なのです。
皆さんは、神から恩恵を得ることはできるかもしれませんが、神を説明することはできません。
皆さんの神に対する説明は単なる推測、あるいはもったいぶった表現によって自分の無知をごまかそうとする試みにすぎません。
私から崇高な教えを学んだ証として、日々の生活の中に学んだ何かを取り入れなさい。
あなたが大きな愛を持っていることを示しなさい。
もっと優しく、自制心をもって話しなさい。
勝っても負けても、心穏やかにその結果を受け入れなさい。
私は、皆さん一人一人の過去も未来も知っています。
私は過去、すなわち起こっている物事の背景を知っているために(皆さんとは)反応が異なります。
苦しみは、前世においてあなた方が故意に犯した過ちの結果です。
私が苦しみをそのままにしておくのはそのためであり、苦しみは(神への信仰を育み、神の恩寵を得ることによって)わずかな償いによって相殺されます。
私は喜びも悲しみも引き起こしません。
あなたを縛っているその二つの鎖を作り出したのはあなたです。
私は至福の化身です。
来て、私から至福を受け取り、その至福に浸り、平安に満たされなさい。
あなた方の多くは、ある種の健康上の問題や精神的な悩みを抱えて私のところへやってきます。
それは、あなたをここへ引き寄せるための餌にすぎません。
その主な目的は、あなたが神の恩寵を得て、神への信仰を強めることです。
しかしながら、私はあなたを私の許に呼び寄せ、あなたが神の方へ向くことができるよう、この世的な恩恵を与えることさえします。
(中略)
ハートの中で、私を身近に感じる努力をしなさい。
そうすれば報われるでしょう。
これは非常に大きなチャンスなのです。
あなたは解脱できるのだということを確信しなさい。
あなたは救われたのだということを知りなさい。
(中略)
このダルマ(正義)の化身、神の体が意味もなく降臨することはないのだということを、私は皆さんに保証します。
この化身は、人類に降りかかっている危機の回避に成功するのです」
(1968年11月23日 プラシャンティニラヤムでの御講話)
今回の記事は以上です。
ではまた。
サイラム
