田中美佐子「矢沢永吉を語る」 ( ミュージシャン ) - CAN GO - Yahoo!ブログ
この記事は1991年、美佐子さん32歳の頃。
14年前は1977年だから美佐子さんがまだ松江の高校生だった。
おそらく1977/11/23の島根県民会館の会場にいた。
誕生日が11/11だから18になる直前に矢沢を観ている。
この後、美佐子さんも上京して1984年のおしん、1986年の愛の嵐あたりから90年代にかけての快進撃が始まる。
私が最初に美佐子さんを見たのは徹子の部屋。めちゃくちゃ可愛かった。
美佐子さん、ルックスの割にはハングリーな人なんです。
田中美佐子
矢沢のいいとこ?そんなもん全部よ全部。理屈じゃない、あの生き様よ。
とこんな具合に、矢沢を語ると口調が変わる私である。
14年前のコンサートを観て以来, r成りあがり」を読み、涙し、レコードを買い、永吉のネーム入りタオルを買い、その後何回目かのコンサートではイスの上に立ち上がり,「ヤザワー!」と叫んだ。
私は、14年間真面目に、矢沢のファンをやってきた。
「走らなきゃいけないときに、思い切り走ったから後悔しないね」
「40歳になっても、夢を追ってる矢沢って、いかしてるよ」
この矢沢の言葉を、40歳になったら言ってみたい。
矢沢のいいとこ?そんなもん全部よ全部。理屈じゃない、あの生き様よ。
とこんな具合に、矢沢を語ると口調が変わる私である。
14年前のコンサートを観て以来, r成りあがり」を読み、涙し、レコードを買い、永吉のネーム入りタオルを買い、その後何回目かのコンサートではイスの上に立ち上がり,「ヤザワー!」と叫んだ。
私は、14年間真面目に、矢沢のファンをやってきた。
「走らなきゃいけないときに、思い切り走ったから後悔しないね」
「40歳になっても、夢を追ってる矢沢って、いかしてるよ」
この矢沢の言葉を、40歳になったら言ってみたい。
土曜スペシャル「奇跡のにっぽん海百景」
田中美佐子さん
私は田中美佐子ファン