月刊PLAYBOY 1989-11 矢沢永吉 vol.16 | 矢沢永吉激論ブログ

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PB たとえばジョン・レノンがオノ・ヨーコに出会ったみたいな。


矢沢 ぼくはジョン・レノンがオノ・ヨーコに出会ったというのがわかるよ。ぼくはビートルズのファンで、ビートルズ解散のとき、あの女が出てこなかったらビートルズは解散しなかったんだとぽくは思った。


殺してやろうかと思った。でもいまは違う。わかる。多分、ジョン・レノンはビートルズにヘドが出ていたんだろうね、どこかでは。


そのときに、多分、ジョン・レノンはオノ・ヨーコのことを宇宙人だと思ったんじゃない。でも、ジョン・レノンはよかったね、宇宙人に会えて。


ぼくが会ったのは地獄の女だもの。女房に対する懴悔をつねに突きつけてくる女だもの。


運命の糸


PB いまでも懺悔はつづいているんですか?


矢沢 そうだね。この先もずーっと懺悔しつづけることになるね……。


 女房とは間もなく協議離婚することになると思う。


PB ………。


矢沢 ぼくと彼女の間にふたり子供ができているのね。上はいまもう3歳になるんだけど、その子が生まれたとき、ぼくは運命を感じたね。


彼女が妊娠して『産みたい』と言ったときに、ぼくはノーとは言えなかった。言えないでしょう。


だって彼女は言ったよ。あなたともう一緒になれなくてもいいと。だって、ぽくは家のことに対してすごく懴悔しているから。


だから、一緒になれなくてもいいから、あなたの子供が産みたい、と彼女は言った。そのときに堕ろせとは言えないじゃん。


 ぼくはそのとき思った。彼女はぼくの子供を産む権利があると思ったね。権利がある。そう感じたんだ。


ぼくは妊娠したと聞かされたとき、はっきり言って喜んで「そうか、できたのか。産んでくれ」というのはこれっぽちもなかった。運命の責任を感じたんだよ。


産んでくれとは言わなかった。「産めば」という、男の投げ捨ての言葉しかないよね。


PB 彼女はなんと言ったんですか?


矢沢 彼女はそれを聞いて言ったよ。「ありがとう、あなた。産ましてもらいます」。 


これを聞いたとき、背負ったと思ったね。背負うのは怖かった。怖くないと言ったらうそでしょう。怖いんだけど、背負わなきやいけないよね。


PB 出産の報せを聞いたときも、やっぱりその気持ちは変わらなかった?


矢沢 LAに電話がかかってきてね、「産まれました」っていう。そのとき、「あっ、そう。うん、わかった」。こういうのが精一杯だった。


それで電話を切った。もう、胸クソ悪いのと、運命の重さと、怖さと、逃げたさと入り混じってた。彼女には悪いと思ったけど、それしか答えられなかったね。


そのときのことを彼女が言ってた。受話器を置いたとき泣いたって。すごく寂しかったって。


PB 産まれてきた子をはじめて目にしたときも、その気持ちは変わらなかった?


矢沢変わった。感無量だったね。東京に帰ってきてはじめて抱いたときに思った。ああ、よく生まれてきてくれたと。そのとき、いましばらくは大変な思いをさせるけど、かならず矢沢の姓にさせるからと思ったよ。本心でね。