月刊PLAYBOY 1989-11 矢沢永吉 vol.15 | 矢沢永吉激論ブログ

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PB サクセスだけでやってきた男が、裸の大将でしかなかったと気づかされたんだ。


矢沢 彼女が最初にオレに買ってくれたプレゼント、靴と服だよ。金ないのにさ。裸の大将をやめさせると言ったのが、最初、靴と服を買ってくれた。


彼女の前では、ぼくはいつもゴジラなぼくだね。もうピリピリしたぽくよ。それをドードーってなだめるわけですよ。


PB そのころ家庭のことを考えましたか。


矢沢 当たり前でしょうが。ぼくは、女房や子供たちにずっと懺悔しています。先ほども言ったように、夢と健康と、パワーだけで走ったときに、すごい大きな力でぼくを受け止めてくれたのは女房ですよ。


ぼくはすごく女房に感謝している。だけど、そのとき、何かわからないけどぼく自身のなかで、新しい矢沢永吉ができていたんだね。


 できれば、ぼくは何度も、何度も戻りたいと思った。


 いま振り返ったら、まだ川崎に住んでいたとき、すごい人間らしさがあった。キャロルをつくる前に女房とふたりでアパートに住んでいてね、どさんこラーメンに行くのが唯一の楽しみで……。


それで浮島というところが川崎にあってね、そこへふたりでボンゴに乗って夜景を見に行って帰ってくる。そのときに長男がお腹に入っていたね。


あの時代……。この間も女房と話をしたんだけど、あの時代が結婚して最高のときだったねって。川崎に住んでいたころですよ。悲しい話だけど……。


PB 男と女って、悲しいですよ。ある時期はぴったり一緒でいられるのに、男はある日突然、女とはまったく関係ないところで男のわがままをはじめる。


あるいは、男の勝手な理屈で悩み出す。ところが女はそれをどうすることもできない。それはどうしようもないものかもしれませんね。


矢沢 悲しいよね。でも、何度も言うようにこれはぼく自身の問題なんですよ。だから、男のわがまま。そのなかで自己革命がはじまったんです。


PB でも、その自己革命はいつも懺悔をともなっていた。


矢沢 懺悔と自己革命が同居してたね、いつも。たとえばさ、人間には相応に枠というのがあって、別になにかを知らなくても人間は考え方ひとつだよね。


幸せ観という考え方ひとつで同じ墓に入れるかもわからないし。クリスタルなくても酒は飲めるもんね。プラスチックのコップでもうまいと思ったらうまいもんな。


 でも、知っちゃったのよ。地獄の女に出会ってしまったんだよね。