日経新聞 YAZAWA 60 12/26 vol.4 矢沢22歳。失業。 | 矢沢永吉激論ブログ

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もう一つの矢沢の難所に目を移したい。「ロックシンガーの夢をあきらめた瞬間はあるか」。首を左右に振ると思って尋ねたのだが、意外な答えに驚いた。

 

「一度もないことはないな」。若き矢沢が難渋したのはフォークの国の隆盛だった。

 

「デビュー前、時代の流れがロックじゃなかった。フォークの時代に突入するわけだ」。ベトナム反靫を掲げ新宿駅西口ではフォークゲリラによる集会、吉田拓郎、井上陽水。

 

「ライブハウスが1軒つぶれ、2軒つぶれっていうことで演奏の場がなくなる。俺たちの存在自体か終わっちゃうんじゃないか。ダメなんじゃないかなと思ったことは何度かある」

 

典型が「ヤマト」解散であろう。「キャロル」の前のバンドだった。横浜で火が付いたが、時代の逆風、メンバー脱退で立ち往生した。矢沢22歳。失業。


ライバハウスで出会った会社員と結婚したばかりだった。前妻である。6畳1間、川崎のアパート。家賃滞納3ヵ月。今日の米を買う金すらない。

 

アイスクリーム屋で、積み下ろしのバイトを見付けた。1日2千円。が、バス賃30円がない。妻が引き出しから五円玉、一円玉をかき集め、駄菓子屋で十円玉3個に替えてきてくれた。

 

初日、経営者に頭を下げた。5日分、1万円前借りできませんか。情けの「聖徳太子」をもらった。帰路も30円かかる。両替してバスに乗った。妻に手渡した9970円。ホン卜は一万円札をもらったんだけど・・・・・。身重の妻は夫をこう励ましたという。

 

いつか認められるから、絶対投げ出しちゃダメ。もう一回やって。お願い。夢は足元に転かっているような代物ではない。ようやくキャロル結成。その3ヵ月後、時期を感じた。