昔の仲間との矢沢話。
1996年頃にクラシックの好きな知り合いがいてそいつに矢沢永吉の偉大さを毎日語ってた。彼はベートーベンが好きで普段聴いてるのはカラヤン、フルトヴェングラー、クラウディオ・アバド、つまりベルリンね。
彼と矢沢永吉の番組を観てた。ツアーのリハーサルをやってた。矢沢の動きを見て彼は「この人、指揮者みたいな動きをするね」
なるほど、そういう見方があるのか。
彼が私のコレクションを見て言った。
「あんたの音楽の聴き方。真ん中に矢沢永吉というコアがある。でもしょっちゅう浮気をしてZARDの坂井泉水ちゃんがどうとか言い始める。でもすぐに物足りなくなる。ああ、俺の音楽はどこに行ったんだろう?矢沢永吉に戻ってくる。ああよかった、俺の音楽はここにあった。ファッキングレイト!」
昔から私の音楽の聴き方はそう見えたらしい。
大学時代の友達が私の部屋に来てコレクションを見て言った。「矢沢とストーンズとレッド・ツェッペリンとプリンスしかないじゃないか。」
今でも考え方は変わらないんだがロックを聴いて邦楽、洋楽全部一通り聴いてその中でサイコーなものは何かって言ったらそれ以外必要なくないか?
もちろん桑田さんも達郎さんもRCも尾崎も大滝先生もユーミンもボウイもスライダーズもマイケルジャクソンもスティービーワンダーもビートルズもジミヘンもクラプトンもピストルズもデヴィッドボウイも聴いた上で言ってる。アルゲリッチも加羽沢美濃も渡辺貞夫もカシオペアもマルタも聴いた。
二十歳の頃から見解が変わらない。何かもっと素晴らしいものがあったらそっちに行ってもいいんだけど。
それよりも素晴らしいものってどうもない。ある意味残念なことではあるとはずっと自覚してる。