大学教育に付随するもの 裏切られても・・・
今日は冒頭に、昨日レバーふぇにっくすさんが下さった私のブログへのコメントをそのまま引用させていただきます。
『私は大学教育は、それを志す時から人間形成に大きな良い影響をもたらすと考えます。
まず、行きたいと思っても、おいそれと簡単に行けるものではないので、たくさんのハードルを越えていかなければなりません。
学費確保、受験勉強、模擬試験、定期試験、学部選択、大学選択、センター(共通)試験、2次試験、面接試験、合格後の生活費、モチベーションの維持etc。
一般的には親の援助を受けつつではあるが、基本的に全部自分で考えてクリアしていかなくてはならない。
そして、晴れて大学合格し初めて正門をくぐった時には立派な一大人としてスタートをきっている。
その4年後か6年後には豊かな感性と自尊心と専門性を持つようになり社会に役立つ人間として世の中に解き放たれてゆく。
この素晴らしい機会をJWカルト教団は若者の手から毟り取り「大学なんて悪ですよー。そんな事より布教活動に勤しんでくださ
ーい。」と言う。
JW教団は自身の欲のために青年達の人生を意図的に奪った極悪犯人だと、私は思います。』
今、自分は高校の教員をしているんですが、この文章、元JWでも現役JWでもなく、現役高校生に真剣に説いておきたい内容だと感じました。
本当に的確な表現を教えてくださりありがとうございました。
自分でやるべきことを自分で嗅ぎ分け、実行し、解決していく。
指示に言いなりになって、ロボットのように決められた動きだけトレースする。
もう、雲泥の差なんですって。
閑話休題
大学ネタが続いたためにもう木曜日になってしまったのだけど、日曜日のフジテレビ「ザ・ノンフィクション」については、ブログに載せておきたくなる内容でした。
概要はこの通りで、どこにも自分の人生とかぶさる部分はなさそうですが・・・
https://www.fujitv.co.jp/thenonfx/_basic/backnumber/index-162.html
自分の心をとらえて離さないことが2点ありました。
一つ目は「裏切られても、裏切れても・・・」との表現の連呼でした。
主人公の社長は、最愛の妹を殺された過去があります。
普通なら、復讐に燃えるように察するところ、彼は犯罪者の再犯率の高さを憂い、更生の道を備えることに人生を捧げています。
それも、助けた相手に「裏切られても、裏切れても・・・」。
二つ目は、この社長が時折見せる、目の怖さです。
ここはあくまで自分の主観なんで、詮無いことかもしれませんが、やっていることの尊さ、優しさからは程遠い、そして発言とも矛盾するかのような視線の冷たさ、恐ろしさが頭から離れないんです。
もしかしたら、彼はこうして合法的に無法者を断罪し、自らの愚かさを浮き彫りにして本物の更生を引き出そうとしているのかもしれません。
その結果はもしかしたら、犯罪者の死でしか終わらないのかもしれないのですが。
さらに、裏切られても・・の表現。言い換えるなら裏切られやすい。です。
この場合の裏切りは、逃げる。が適切なのかとも思えました。
そう、社長から、絶対的な善人と善行から、逃げたくなる。ということではないのかな。
自分には、似た境遇はなさそうでしたが、一応裏切られたことはあります。
その解決は「忘れること」でしかできませんでしたが。
でも、この社長の姿を見て、信念をもって生きることで、裏切りも笑い飛ばせるほどのスケールの大きさを見せつけることも、一つの手のように感じた次第です。
あ、しまった。
「裏切られても、裏切られても・・・」高校生には、ほぼ毎日裏切られてましたよ(笑)
当たり前なことは、見落としがちです。