また、言葉だけでなく作品で答えてくれることもあった。
十年ぐらい前に「現代刀はなぜ古刀のように肌が出ないの?」と質問してみたことがある。
数ヶ月後「現代刀は折り返し鍛錬をやり過ぎて炭素同化してしまうから」という答えとともに、一振りの小脇差しを見せられた。
若干のキズっ気が出ていたものの、現代刀では他に類例を見ない肌が出ていた。
この小脇差しは某会の鑑定刀に出て、ベテラン会員氏らの鑑定眼を迷わせた。
匂口の若さは否めないが、逆に肌が末古に近かったからだ。
この小脇差しは、私の愛刀の一つとなっている。
氏は年に一度ぐらいのペースで「こんなのが出来たから、感想を聞かせて欲しい」と焼き入れしたての作品や、研ぎ上がりの作品を送ってきてくれた。
その中には「欲しいなあ」と思う作品も多かったが、貧乏サラリーマンには手が出ない金額になりそうな物だった。
そうした、出品刀になり得るようなパリッとした典型作は、経済力のある有力な支持者の手に渡って行ったのだろう。
そこで私は氏と相談して、月々少しずつ氏に送金して積立て、まとまった額になったら氏の作品を買うことにした。
「独り武器講」とも言えようか。
氏の遺作「小龍善昭」もこの武器講で買ったものだ。
貧乏サラリーマンが自分のために考え出した苦肉の策であったが、多少は経済的に氏の役にも立ったようだった。
しかし、せめて氏が自身をソボロ助広に例えずに済むぐらいの服が着られるように、もっと作品を買ってあげれば良かった。
それは悔やんでも悔やみきれない。
長年に渡り、物心両面で氏を援助し続けていらっしゃた福岡の研師、藤本先生こそ偉大なる支援者であり、もちろん私など足下にも及ない。
(続く)