hideさんの記事を読んで、週刊文春の「考えるヒット」というコラムにPerfumeの新曲「ねぇ」が取り上げられていると知り、立ち読みしてきました。
びっくりするくらい好意的に取り上げてくれていて、

Perfumeには普通に歌手としての優位性がある

という意味のことまではっきりと書かれています。
ただ、中田さんプロデュースによるPerfumeサウンドを高く評価し、そのなかで印象的な三人の歌声を「マジいい声なんじゃないかと思えるようになった」と書く、過去にはPerfumeと直接対談したことのある近田さんでさえ、

でもこれを(Perfumeサウンドの中のボーカル部分の優秀さが←と僕は読みました)Perfumeの実力、或いは功績と捉えていいのかどうかが問題だ

という意味の文章が結論として提示されていて、そこでPerfumeファンである僕としては、はあ、とため息をついてしまうわけです。
これほど今度の新曲を通じてPerfumeのボーカルやサウンド、作詞家としての中田さんを高く評価してくれる文章の中にさえ、近田春夫さんでさえ、まだPerfumeのボーカルエフェクトに対する先入観があるのか、と。

近田さんの文章には少しも批判的な、Perfumeの印象を悪くするようなアングルは感じられないんです。
初めに言ったように全体で見れば絶賛といっていいくらいの好意的な捉え方をしてくれています。
それでもか、と。

ここで気をつけなければならないのは、コラムの中の短い文章に書かれた内容が、近田さんのPerfumeに、或いはその回で取り上げた曲に関する印象の全てではなく、おじさん向けの週刊誌の1コーナーとしてかなり分かりやすさを意識して書かれたものだろう、ということです。
あと、文章を書き慣れた人間というのは、文章の中には自分の本音を置きませんから、気をつけて読まなければなりません。

が、しかし、それにしても、はあ、と。
近田さんの(文章の中にある)先入観というのは、おそらく三人の、いわゆる生歌を知らない人たちが抱く印象を大まかに代表するものなのかもしれません。
エフェクトかけちゃえば、誰でも同じようなボーカルになるんじゃないの?という。

Perfumeファン同士であれば、違うよね、の一言ですませる問題なんですが、世間的にはそこらへんがどうも。
Perfumeファンじゃない人は、PerfumeファンのようにはPerfumeを考えないし、評価しない。
僕たちはPerfumeの過去の動画をあさり、彼女たちの出演した番組はなるべくフォローしようとしますから、たとえば、「新・堂本兄弟」で完全生歌で披露された「ジェニー」や、ミュージックフェアに出演した時の生歌、特にSalyuさんCHEMISTRYさんと共演した時の三人のユニゾンを聴いています。

エフェクトによって「個性の圧縮」も「強調」も補正されていない三人の歌声は、今やエフェクトをかけられた時よりもさらに親和性が増しています。
三人が自分たちの歌声の魅力に気づいていて、その点において注意深く発声レベルを合わせているからです。

Salyuさんの歌を歌った時でも、おそらくあ~ちゃんとのっちの二人だけであれば、もっと声を張った歌い方になっただろうと思います。
かしゆかの声を含めた三人のユニゾンであることを十分に意識しているから、ああいう抑えめで、三人の声の親和性を強調するような歌い方になった、と僕は考えています。

音源で三人のユニゾンを聴いていると、スピーカーのLRの使い分けもありますから、エフェクトをかけられていても三人の歌声を聴き分けることが出来ます。
かえってあ~ちゃんのっちのソロパートの聴き分けのほうが困難なくらいです。
それが、Salyuさんと共演した時の三人の歌声を聴くと、本当に誰がどの声か判定するのが非常に難しくなってきます。
あ~ちゃんの声は溶けこんでしまうし、かしゆかの声はあ~ちゃんに寄り添って見分けがつかなくなり、のっちは抑えた声の使い方をしている時には話し声よりもオクターブが上がりますからこれもあ~ちゃん寄りになる。
わずかに音程がぶれたときに、あ、のっちの声が縒れた、と分かる程度。

この、三人の歌声の親和性があればこその、Perfumeサウンドとボーカルであり、それがPerfumeを他のガールズユニットと差別化しているオリジナリティなんだ、ということをファンでない人に理解、理解というほどではなくても、情報として知ってもらうには、まだまだ大変なのかなぁ、と。
そんなため息が出ます。

ローマは一日にして成らず、かね? ▽・w・▽