休日の、家族連れが集う公園のベンチに、近所ではついぞ見かけたことのない中年男がひとり、リュックを膝に抱えながら座り込んでいる。
なんて悲しい光景なんだろう。
でも、自分のことなので同情の涙をながすことも出来ない。
公園は周囲のぐるりをさほど背の高くない建物に囲まれていて、青空が四角く切り取られている。
僕の座るベンチのすぐ前には滑り台があって、子供たちが引っ切り無しに上っては滑り降りている。

大人たちは自分が神楽坂という土地に生活の拠点を持ち、日々を過している意味を十分に理解している。
着ている服は、いやらしくならない程度に品が良く、髪型も長短はあれどさっぱりとしていて清潔感に溢れている。

子供たちはというと、公園で思う存分駆けまわり、あまり滑りの良くない滑り台を降りるのに適した、汚れてもいい服を選んで着させられているように見える。
「うちは自分の子供に子供らしさのないお洒落はさせませんの」
語り合っているご婦人たちは、笑顔で暗黙の了解を確認しあっているようだ。

東京という街が好きで東京の街を歩き、時々こうして立ち止まって休んでいると、自分は東京のどの街で何をしていても結局よそ者なんだなぁ、と感じることがある。
そして、公園のベンチは、よそ者が長い時間を過ごすために設置してあるわけではないということも。

缶コーヒーを飲み終わると、公園内の小さなトイレの中でセーターを着込み、再び歩き出す。
表通りには戻らず、そのまま公演前から左右に伸びる裏道を進む。


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油断していると、東京はどこにでも寺社が現れる。
これは、赤城神社。


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拝殿はまだ白木のまま、ピカピカの神社だ。
ここにも子供を連れた若い母親たちに占拠されている。
この日のお参りスポットはここにして、街歩きのご挨拶をすませた。

ずっと歩いていると、住宅街の片隅におしゃれなレストランがあったり、小さな劇場なのかイベントスペースなのか、開演を待つ人が短い行列を作ったりしている。



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坂道というのは、寺社の近くに多い。
これは、赤城坂。
そのまんま撲滅委員会特別監査官としては見逃せないネーミングだ。
まったく東京という街は油断がならない。


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田舎者の悲しさか、干してある傘さえオシャレに見える。

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意味なくまた赤城坂に戻ってみたりもする。

裏道からようやく表通りに出て、今まで歩いてきた道を遡るように飯田橋駅方面に戻る。
色々な顔立ちの人とすれ違う。
オシャレなご老人が多いのも東京の特徴だが、さすがに写メを撮るわけにもいかない。
スキニージーンズの裾をブーツに入れたおじいさんがオシャレヒゲも渋く歩いている、と言えば分かりやすいだろうか。


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神楽坂から見た狭い空は、雲に覆われつつあった ▽・w・▽