のっち氏、22歳の誕生日の画像がかしゆか嬢によってアップロード。


贈られたのであろう誕生日ケーキのろうそくの炎に浮かび上がるように立つのっちの姿の美しいこと。


美少女というよりは美女であり、美女でありながら未だ美少女の面影を残しているようでもあり。

ちなみに、記事を更新してウェブ上に載せる時には削除してありますが、今現在この記事を書いている時には、かしゆかブログののっち画像を貼りつけております。


PTA会員でない方には申し訳ないのですが、この一枚はおそらく、のっちの写真として生涯にわたってベスト3から評価の下がることはないだろう傑作。


のっちの笑顔は家族や友人や仲間に向けられたものというよりは、恋する相手に向けられたものにさえ見える、優しく、柔らかな笑顔です。


22歳。


もう、子供だ少女だなんて言えないほどに成長していたんだ、とあらためて気付かされる年齢です。

来年は23歳、再来年は24歳。

当たり前のことですけど、一年毎に年齢を重ねて、重ねた年齢のままに魅力の増していく女性になっていくことでしょう。


僕は才能の評価として、のっちは天才である、Perfumeのエースたる存在である、と言い続けてきました。


かつて、十代前半の時代、のっちは間違いなく芸能の神ミューズから寵愛を受ける限られた存在の一人でした。


かつてののっちのパフォーマンスを支えていたのは、ステージはステージ、客席は客席という厳然たる意識的な区別、最高のファンサービスとはとにかくレベルの高いパフォーマンスを観客に見せることなんだという迷いのない自我と、練習量でした。


のっちにとって、観客とは、もっと言ってしまえば、ファンとは、パフォーマンスするのっち、という存在の実在を保証する観察者であればよく、自分を観察する視点さえあれば、その中身が何者であろうと構わない、自分を、自分たちを観て、「それ」が何を思い、何を感じるかなんて想像することもなかったのではないか、と思うことがあります。


それが、ブレイクを果たし、いつまでもこの時間が続けばいいのに、と充実した気持ちを実感できるようになって初めて、一体自分たちのこの幸せを支えているものって何なんだろう?ということに思いを向けるようになったのではないか、という気がします。

自分たちの成功を支えていてくれるのが、ステージからのっちの目に映る風景の中にあった、誰が誰であっても構わないようなその他大勢ではなく、一人ひとりがそれぞれのPerfumeへの思いを抱える生きた人間なんだ、ということに。


その瞬間から、のっちという存在を占有していた純粋なパフォーマンスへの没入、感覚が失われ、ミューズの寵愛を一身に受けていた神の子のっちは、一人の、仲間と共に現実の世界の中で夢を叶えようともがく、人間へ、女性へと生まれ変わったのではないか、という気がします。


武道館のステージを頂点と、或いは最期とするように、のっちのパフォーマンスからはかつての、この場面ではこの表情しかないという、ダンスのこの場面ではこの角度しかない、と観る者に思わせるような絶対的なパフォーマンスが失われていきます。


ライブ中に観客に視線を送ったり、声援に応えたりすることで、観客の思いを受け止めようとすることで、絵画のようだったのっち独特のフォルムは微妙に崩れていきます。


大人になった身体を自分の思うままに動かせないような、もどかしさみたいなものをパフォーマンスから感じるような。

生身の人間を相手とする生身のパフォーマンス。


のっちがラジオ番組の中で、リスナーからの「ダンス用の筋肉ってどうすればつくんですか?」という質問に対して「あたしもどうすればダンス用の筋肉がつくのかって聞いたことがあるんだけど、やっぱりダンスの練習を通じてつけるしかないみたい」という意味の答えを返していたことがあったり、昨年のツアー前後にジムに通って筋肉を鍛えたい、みたいなことを言っていた背景には、ダンスレッスンを受ける時間もままならないまま、大袈裟な言い方をしてしまえば自分の体が錆びついてしまうことへの恐怖みたないものがあったのではないか、という気がします。


今年、新年が明けて、ファンクラブツアーでファンの前に姿を現したのっちが、あれほど痩せていた理由って、体調を崩していたのかもしれない、気まぐれにダイエットを思いついてやりすぎたのかもしれない、プライベートで思い悩むようなことがあったのかもしれない、実際のところはファンには分かりません。


ただ。


あらかじめフィッティングをした上で用意されたはずの衣装がブカブカになるほど肉を落としたのっちの身体から生み出されるフォルムが、関節の角度が、軽やかなステップが。


のっちのダンスの魅力の一端を表す抜群の「キレ」、を伴っていたことは確かなように思います。


「ナチュラルに恋して」の、「不自然なガール」の、「VOICE」のMVの中で、のっちはほっそりとした身体のラインと、大人びた表情で、年齢相応の、優しく、柔らかなダンスを踊っています。


かつての、オリンピック出場を目指すアスリートのような禁欲的な雰囲気はもうありません。


あ~ちゃんやかしゆかがそうであるように、そこにあるのは、人気と共に重い責任も背負う、プロフェッショナルなアーティストの姿です。


ファンから愛され、ファンを愛するアーティストの。


PTAから送られてきた三年目の会報一号の最後のページに寄せられた三人のメッセージの、特にのっちの言葉が。


まず何よりもファンへの愛情と感謝の言葉から始まり、ついには書き込むスペースが足りなくなるほどになっていることが、のっちがいかにファンから愛されているかの証明となっているように思います。


誰かを愛さない者は、誰からも愛されない。


天才といえば、誰からも理解されない孤独さを思い浮かべてしまいますが、のっちには当てはまらないようです。


▽・w・▽