PCに送られてくるPTA通信、今日は二件入ってまして、一つが10月1日のMステ生放送観覧の募集、3時間スペシャルということなのですが、通常と同じく男性は観覧できないとのこと。

システム的に男女を細かく区分してメールを送るという作業が難しいのだろうとは思うのですが、Perfumeファンってまだまだ男性ファンの方が多いはず。

ずいぶん、無駄な負担をサーバーにかけてメールを発送しているものだ、とスタッフお疲れ様。


もう一件がファンの皆さんもぼちぼち記事にし始めている11月3日、東京ドーム公演のグッズ情報。

基本を抑えた無駄のない品揃え、パンフレットあり、Tシャツあり、タオルあり、今回はリバーシブルのパーカーも出ました。


PTAといえば最近はサイトの方も音沙汰がなく、9月の上旬を過ぎてようやくPTAレポートや今回のお知らせが出始めました。

Perfumeのスタッフが沈黙している時って基本的に次の動きへの準備を進めている時、今回も沈黙の期間を終えて精力的な告知活動が繰り広げられるようになるのでしょう。


Perfumeのメンバーは毎日リハーサルに励んでいる模様。

Perfumeが集中してダンスや歌などのパフォーマンスを見直せるのって、現在ではこのようなライブのリハーサルくらいしかないんじゃないか、という気がします。


歌にしろダンスにしろ、本人たちも一度じっくりと時間を作ってレッスンを受け直して、とは思っているのでしょうが、学校があり、仕事があり、大きなイベントの準備があり、という中ではその時間を作るのも難しいでしょう。


約2ヶ月に及ぶリハーサルの中で、ダンスの精度を磨ぎすまし、Perfumeならではのレベルの高いステージを期待したいものです。


ドーム前にファンの前に姿を現す、もっとも大きなイベントがMステ3時間スペシャルへの出演という感じかな。

放送日でさえ、発売してからまだ丸々2ヶ月に満たないタイアップ付きの新曲があるというのに、披露される楽曲が「シティー」。


スタッフとの話し合いによって決められた演目なんでしょうが、これはPerfumeやスタッフが活動の意識を完全にドームモードへ切り替えました、という意思表示と見るべきでしょう、がっちりと受け止めたいと思います。


「チョコ」でも「ポリ」でもなく「⊿」の中からでもなく今年発売された新曲たちでもなく「シティー」。

いつ暮らしている寮を出てください、広島に帰って結構ですよ、と言われるかと、三人の中では口に出さずとも、そんな周囲の厳しい環境をもっともリアルに感じていただろう2006年の楽曲。


中田ヤスタカとPerfumeという、二つの大きな才能がようやくお互いに歩み寄るようにして作られた「三部作」の二作目。


なぜ今年、結成10年目にドーム公演を目指すことにしたのか、その理由は様々なインタビューから明らかにされています。


崖っぷちの上で必死に活動していたのがPerfumeなんだと。

その頃に比べて恵まれた環境にいて、満たされていても、その時の気持ちと姿勢を忘れちゃいけないんだ、という自分たちの尻を打つ鞭。

それが、東京ドームが象徴する無理めのビッグイベントなんだ、ということですよね。


2007年のブレイクを前提としたPerfumeの現代史から見ると、「三部作」は、PerfumeサウンドがPerfumeらしいスタイルで完成されていく端境期です。


「シティー」はアコースティック、「エレワー」はエレキと、ギターサウンドを有効に取り入れてますが、この二つほど目立ってギターサウンドを押し出している曲はPerfumeの楽曲の歴史を振り返っても珍しいと言えます。


「シティー」という楽曲の中には、その後のPerfumeサウンドの魅力がほぼ全て隠されています。


それは、歌詞の世界観、生々しさのない甘く切ない感情であり、満たされることのない淡い欲望であり、サウンド、耳になじみやすいメロディと、身体の中を自然に流れていく心地良いリズムであり、大きく盛り上がるわけではないのだけれど、繰り返されることによって徐々に感情が高まっていくサビのパートと、何よりもユニゾンとして縒り合わせられた三人の歌声です。


三人によるユニゾンで歌唱パートが終始しているように聴こえる「シティー」も、皆さん繰り返し何度も何度も聞いたことでしょうからお気づきですよね、三人のうち、誰の声の成分が強めに前面に出てくるか、がソロパートの代わりをするかのように振り分けられています。


特に1分28秒から始まる、これはBメロになるのかな、歌詞で言うと


完璧な計算で


から


真実はあるのかな


までの部分と、続く


完璧な計算で


から


嘘じゃない 愛してる


までの歌声は微妙に言葉の発音と声の様子が違っています。


他にも、


悩むはずがない


の「い」を伸ばして歌っている部分、最後の最後の方で声がひび割れていますが、これはかしゆかの声の特徴です。

コンピューターソフトによって処理されているはずの三人のユニゾンが、曲の中で違って聴こえることの原因には、一つには聴く側、つまろ僕なら僕の勘違いがまず考えられます。


そこで今回何度も何度もあらためて聴き直してみたのですが、どのパートにおいても、三人の声が等分に縒り合わされている、という風にはどうしても聴こえませんでした。


僕の感覚が正しいとして、ではなぜそのように聴こえるのか。

中田さんが意図的に、パートごとに声を微妙に作り変えたか、アレンジを変えるたびにそれに合わせてボーカルパートを鍵盤で演奏し直していたか。

或いは、インディーズ期から三部作あたりまでは中田さんのボーカルトラックの処理には、たとえば三人の声の伸ばし方がバラバラなのをそのまま収録していたり、とやや放りっぱなしの部分が見られたので、その名残、どの声をどんな風に使い分けて、などを考えず適当にミックスしていた、ということも考えられます。


実際にはどうなのか、過去を振り返らない中田さんに聞いても覚えて無さそうだし、わからないままなのかもしれません。

ただ、Perfumeの楽曲というのは聴きこむうちに「ありり?」と感じる、なんて言うんだろう、論理的整合性には欠けるんだけれども、でもそこがいい、みたいな部分があって、聴き飽きない魅力があります。


今回の「シティー」のテレビ披露によって、世間的には埋もれたままになっている「コンベス」時代の曲が注目されたりするといいんですけどね ▽・w・▽