さて、前回書いたように青木坂を登り、左折、歩いて左側に新富士見坂が下るのを見つつ進み、中国大使館別館のところで右折、しばらく進むとパキスタン大使館やフィンランド大使館が道の左側にあり、さらに進むと
こちら、奴坂を登ります。
名前の由来がこれも様々ありまして
・竹ヶ谷の小坂で谷小(やっこ)坂
・薬王坂がなまってやっこう坂
・奴が付近に住んでいた坂
「奴」というのは江戸時代の武家の下僕のこと。
どれが正解かは、現在となっては分からないようです。
奴坂を登って右折、まっすぐに進んでいると
薬園坂に出会いますのでこれを下ります。
この坂名の由来は、寛永年間、坂の西部に幕府の御薬園が開かれていたことから名付けられたようです。
この御薬園は、薬草の栽培書で小石川植物園の前身、なんだそうです。
おや?今回からいやにウンチクが詳しくなっている、と思った方、鋭い。
今回からキッチりとカンニングしてまして、朝日新聞社から出版されているその名もズバリ
江戸の坂
という本を見ながら書いているのです。
著者は、日本坂道学会会長 山野 勝さん。
ちなみに日本坂道学会の副会長はタレントのタモリさん。
酒場で盛り上がっていた山野さんに話しかけたことが二人が知り合うきっかになったそうで、日本坂道学会、今のところ会員はお二人だけ。
会長、僕も入れてください ▽・w・▽ノ
薬園坂を下っていくと、今度は右側にイラン大使館があります。
下りきったところが明治通り四ツ橋交差点。
そのまま歩道を左折して道なりにずっと歩きます。
古川橋というところで道がぐっと左側に大きく曲がりますのでここも道なりに進みます。
右側に首都高速2号目黒線を見ながら二の橋交差点まで進んでもらって右折。
高架下をくぐるように進むとそこから日向坂、こちらです。
この坂は、江戸時代初期、坂の南側に周防徳山藩主 毛利日向守の屋敷があったことから名付けれていて、別名が袖振坂(袖摺坂とは違います)。
この坂の左側の道をずっと登っていきますと、途中左側に下る坂が。
神明坂は、この道を降ったところにある神社(天祖神社)を元神明と行ったのが名前の由来になっているそうです。
僕は下らずに素通り、そのまま日向坂を登ったところにあるオーストラリア大使館を右手に見ながら通り過ぎ、左手に都立三田高校を見つつ下っていく坂が
綱の手引き坂。
平安時代の武士、摂津源氏源頼光に仕え、大江山の酒呑童子退治や京都一条戻り橋に出没した鬼の片腕を切り落とした武勇伝で知られる「頼光 四天王」の筆頭、渡辺綱がこの付近で生まれたんだそうです。
この坂を下ったところで左右に伸びる大きな道路が桜田通り。
左折してずっと歩き、首都高速の下をくぐって赤羽橋交差点で右に伸びる道、内堀通り、国道301号線に入って直進すると東京タワー下まで、が今回の坂コレクション。
また、多くの坂との出会いを求めて歩きまわります…夏 ▽・w・▽