どこだどこだどこでなら観れるんだ、ニコもちろんダメ、ようつべもダメ、噂のデイリーくんでは40分を無駄にして頼りになるのは高画質のベオっち。
観た。
歌全体は、あ~+かし、の声で世界観が作られている。
あ~ちゃんやかしゆかの、そしてあ~ちゃんナイズされたのっちの声で歌われるこの曲は、幼い少女のような声で歌われているが、独白をつぶやいている女性は少女ではない。
大人になったはずの若い女性の中に残る幼さが、好きな相手への不安によってむき出しになってしまったゆえの独白、心の奥にしまい込まれたはずの少女の声、なのであって、これはやはり21歳になったPerfumeの実年齢を充分に意識して作られた「同世代」向けの楽曲である。
というのが第一印象。
21歳の女性で、しかも芸能人、しかもトップアイドルである彼女たちが、彼女たちのために作られたビデオの中で美しく愛らしくあるのは当たり前。
やはり注目すべきなのは演出だと思う。
歌い出しからユニゾン、三人揃ってのダンスパートまでのあ~ちゃん、のっち一人から三人に分裂するダンスパートの見せ場におけるエースのっち、大サビに当たる切ない歌唱パートを担当するかしゆか、とそれぞれに見せ場が用意されている。
群舞を踊るダンサーたちは、分裂したPerfumeがさらに分裂した分身や背景、として観るべきだろうと思う。
バックダンサーではなく。
MIKIKOさんの演出もさることながら、音楽とダンス、Perfumeの魅力の両輪をMVの中にすべて映像として収めた関さんの手腕は特筆すべきものだと思う。
関さん、MIKIKOさんに共通するのは世界観を創出したい、という姿勢であって、この二人にとって大事なのはあくまで全体像であり、こだわりがあるように見える細部の演出というのはモザイク画の一欠片でしかないのではないか、と感じる。
二人の中ではそろそろPerfumeを使用して創り出す世界観が、はっきりとした形をとりつつあるのではないか。
もちろん、ハッキリと形作られて完成されたなら、その世界観は必ず破壊されるのだろうけれど。
チームPerfumeは、いい作品を造った。
もっと歳をとって、このビデオを久々に見返している僕の顔は、きっとにやけているだろうと思う。
昔からやるじゃん、Perfume、と自慢に思いながら ▽・w・▽
初めから書く追記:
ある作品について様々な評価があるということは、アーティストにとっては幸せなことです。
それだけ聴かれたり、観られたりしているのですから。
表現というのは、鑑賞者がいなければ成立しないものであって、より多くの「鑑賞者」を獲得する道を選ぶのだろうチームPerfumeは、「鑑賞」されること、「観察」されることによって、さらに完成度を高め、イメージの井戸を深くしていくことだろうと思います。
あくまでもポップに、そしてキュートに。